地球文明ビジョン 「環境」が語る脱成長社会
(古沢広祐著 日本放送出版協会刊 本体価格874円)

商品の裏側にある隠れたコスト(環境と社会的コスト)をから見えてくる社会システムの矛盾と未来の姿


国産卵ではなく、アメリカ産トウモロコシを食べている日本人

 私たちは、便利で豊かな生活のためにさまざまな商品を購入するが、その商品を生産し、流通するために多量の資源とエネルギーを消費し、環境汚染物質を排出している。また、私たち自身も生活に必要な資金を経済活動で得ているのである。だから、環境汚染の被害者である私たちは、また環境破壊の加害者でもある。被害者=加害者であることを知ることは、環境問題を考えるうえでの基本である。

 そして、もう一点、私たちがふだん消費している商品の裏側には、目に見えない形で安全性や環境が無視されていたり、経済的な強者と弱者の格差の広がりがあったり、取り返しのつかない自然の切り売り的な状況や、伝統や文化の破壊があることである。

 本書では、私たちに最も身近で、日常消費する食品を取り上げて、商品の裏側にある環境と社会的コスト、商品の隠れたコストを見る視点の大切さを指摘している。

 本書で取り上げた日本の卵を例にすると、国産といってもそのエサはほとんどが輸入で、大半がトウモロコシである。国産卵を食べているといっても、私たちは、その数倍の量の輸入トウモロコシを食べているということになる。

 この国産卵1個の値段を20円とすると、その約半分の10円はエサ代である。このエサ代10円は、トウモロコシを栽培するアメリカの農場、アメリカの輸出業者、日本の国内商社の取り分である。また、残りの10円には、商社や流通会社のマージンを含む流通経費6円、ヒナ代や光熱費、鶏舎の建築費など維持管理費3円が含まれており、農家の取り分は1円以下というのが現状である。このわずかな利益を量でカバーするために規模を拡大し、数万羽単位で飼育するウインドウレス(完全密閉式)鶏舎が造られ、工業的養鶏が一般的になったのである。それが、今日の一般的な卵の栄養成分の偏り、非衛生的飼養管理、病害予防のための薬品(抗生物質・殺菌剤など)多用につながっているのである。

 では、エサのトウモロコシを栽培しているアメリカの農業事情はどうか? 世界の穀物生産のうち、小麦やトウモロコシの生産は北米大陸に集中しており、世界の全輸出量のうち、小麦の40%、トウモロコシの70%のシェアをアメリカ1国が占めている。 ところがアメリカの農業は、1トンの穀物を生産するのにおよそ6トンの表土を失っているという報告がある。年間にすると、31億トンもの表土が失われているのである。自然が、わずか1・の厚さの表土を作りあげるためには100年以上かかるというから、その自然的・環境的損失ははかりしれないものがある。

 アメリカの穀倉地帯は乾燥気候地域が多いため、灌漑用水はほとんどが地下水の汲み上げに頼っており、大量生産のために大量の地下水の汲み上げによって、地下水の枯渇や、地表面に塩分が貯まり塩害や砂漠化などで農業不適格地域も急増しているという。 また、長年の農薬や化学肥料多用の影響で、農業地帯の多くの井戸や水源から農薬や亜硝酸塩が検出され、飲用不適になっているところも多いといわれている。 そして、このエサ用のトウモロコシを日本に長距離輸送するために大量のエネルギーが消費され、長期保存のために病虫害防除のためのポストハーベスト農薬が使われているのである。

 日本の穀物消費量は約3,770万トンで、そのうち国内生産はおよそ1,019万トン。輸入が2,751万トンで、自給率はわずか27%(1998年度)である。この輸入穀物をを栽培面積に換算すると、日本人は国内の耕地面積のおよそ3倍の広さの耕地を海外で使っているのである。



途上国の環境・自然破壊と低賃金労働で成り立つ日本人の生活

 日本人のエビ好きはつとに知られている。本書では、わかりやすい例としてエビについても取り上げている。

 1986年以来、エビは金額ベースで輸入食品の代1位にとなっている。このエビの輸入先はほとんどが東南アジアで、インドネシア、タイ、中国、インド、フィリピン、台湾などとなっている。日本からの輸入急増によって天然エビ資源の枯渇が始まり、1981年にはインドネシアがトロール漁法を全面的に禁止したことから、養殖が盛んになった。しかし、養殖池は海岸線近くの水田やマングローブ林を破壊して作られることが多いことから、エビの養殖が広がるなかで、魚の生育環境としての海域と海岸線マングローブの生態系との循環が分断され、熱帯地域の漁業資源への悪影響と漁民の生活破壊が心配されている。

 さらに、台湾などではエビ養殖のための地下水の汲み上げ過ぎによる地盤沈下、エサを大量に給与する高密度飼育による水の汚染、病害予防のために大量の薬品(抗生物質・殺菌剤)が恒常的に使用されるなど、環境への弊害が急増していることを指摘している。

 本書データによるインドネシア産エビ1尾の値段100円の中身を見ると、日本国内の小売店(スーパー、魚屋など)の取り分が27円、荷受け・仲買人のマージンが6円、大手水産会社のマージンが1円、関税・その他の諸経費が15円、現地輸出業者のマージンが16円、現地仲介業者のマージンが16円、飼育する漁民の取り分が19円となっている。

 私たち日本人は、安くて大量にある穀物やエビ、牛肉、あるいはコーヒーやバナナ、パイナップルをはじめとする多くの食料品、あるいはパソコンや自動車、ファッショングッズなどを購入し、消費しているが、その安さや便利さの裏側には、さまざまなな社会問題、環境問題がある。特に開発途上国の農民や労働者の低賃金労働、環境の破壊によって成り立っている点を見落とせないのである。

 また本書は、女性や子どもたちが大好きなチョコレートが、その値段のほとんど(93%)が宣伝広告や包装を含む流通・加工経費に費やされ、生産者にはわずか7%しか支払われていない例や、男性が購入し、女性にプレゼントすることで女性の身を飾らせ、力を誇示する手段として利用されている貴金属や宝石類を採掘するために、南アフリカ共和国やオーストラリア、ブラジル、ジンバブエ、マレーシアなどの鉱山や採掘所では、先住民が強制移住させられたり、地元民が危険と隣合わせの作業過程で劣悪な労働条件で働かされたり、大量のエネルギー消費、森林破壊、土壌の浸食、河川・湖沼・地下水の汚染などが日常的に行われ、広大な荒廃地が生み出されていること。そして、わずか1グラムのダイヤモンドを得るためにおよそ20トンもの岩が掘り起こされ、採掘される鉱石の90%は残さとして有害物質を含んだまま捨てられていることを報告している。



社会的責任や環境への責任を考慮して商品を購入するエシカル・コンシューマーの時代になった

 こうした状況を踏まえ、著者は「一つの商品をこれまでのように価格やブランドなど外見でとらえるのではなく、安全性や環境面、人権や労働条件、軍事・平和問題、政治的・社会的抑圧等といった問題までも視野に入れて、生産から流通・消費に至るまで詳しく点検し評価しようという動きは、企業活動の社会的責任や倫理を問う動きとも重なって次第に顕著になり始めている」と、この矛盾に気づき始めた人々が出てきていることに触れている。

 私たちは、商品購入に際して、その商品の裏側にある事情を知り、消費者としての社会的責任や環境への責任を考慮したうえで商品の選択をしなくてはならないエシカル・コンシューマーの時代になっているのである。(エシカル・コンシューマー・・・倫理的消費者・社会的責任を意識した消費者)

 著者は本書で、以上のような、消費者の視点からのアプローチと同時に、生活者の視点からのアプローチについても具体的な方法論を模索している。

 その一例として生活に必要な水の場合を見ると、都市の家庭生活で消費する水の量は、1人1日当たり約300リットル(1家庭当たり約1トン)で、そのほかに間接的な水需要として、産業用に人口1人当たり換算で1日に1.76トン、農業用水として1.4トンが使われているという。新聞1部(朝刊)のために水が26リットル。鋼材1トンの生産のために100トン、乗用車1台のために120トンの水が使われているのである。(資源ピラミッド)

 これを、生活に必要なさまざまな消費財に当てはめてみると(食事メニューなどさまざまな生活用品の資源ピラミッドやエネルギーピラミッド、廃棄物ピラミッドなどを作ってみる)、今まで気づかなかった陰の部分に光を当て、環境への負荷という隠れたコストを明確に直視することができるというのである。



脱成長社会に向けて、生活の質の変換・「共生」の価値に気づく人々を増やす

 ところで本書は、地球環境への負荷を減らし、生活の質を向上させる方法として、現在の社会・経済システムを変換し、脱成長社会への転換を提起している。

 著者は「脱成長・永続可能社会とは、いわば金銭的な商品経済の上に築かれる"経済大国"の道から、貨幣経済的には"経済中国"へと転換をはかることで可能になるといってよかろう。貨幣経済の領域がスリム化する『スリム社会』、拡大均衡ではなく、貨幣経済的には縮小均衡へ向かう道筋といってもよい」と述べている。

 つまり、永続可能な未来社会の存在形態とは、貨幣経済的にはゼロないしマイナス成長であっても、社会として十分耐えうるような社会経済システムの構築ということである。

 また「私たちがこの有限の世界で、末永く安定した暮らしを環境や他の人々を搾取・抑圧せずに実現する道は、そうした社会を樹立させるしかない」という。そのためのキーワードが「共生」である。この「共生」をキーワードとした「共」的セクターの確立と交流型社会の実現こそが、永続可能な社会経済システムの基盤であると主張している。

 著者は、かつて協働を目的に作られた農協や漁協、森林組合、生協などが、ひっ迫しつつある地球環境問題に対して総合的・主体的に取り組める最短距離に位置していると評価しているが、残念ながら、日本では農協に代表されるように、協同組合運動自身が利潤追求、環境破壊を助長してきた経緯があり、近年の生協の利益優先体質、官僚主義的体質から見て、大幅な世代交代や女性による運営に変わらなければ著者の期待を担うことは困難である。既存の組織や体制にとらわれず、企業人であっても生活の質の変換を求め、「共生」の価値に気づく人々を増やすことが重要である。

 環境問題は、私たちの生活と、社会の構造的な問題に根ざしている。ひとつの身近な汚染対策・・・子どもたちと行う酸性雨調査、海岸や街の歩道のクリーンアップ作戦、家庭での紙や水、電気などのエネルギーの無駄づかいをやめることなどから、それらの個々の問題の裏側を探ってみることが、環境問題の本質を理解し、さらに深く、広く知るために大切なことである。


『地球文明ビジョン「環境」が語る脱成長社会』
(古沢広祐著 日本放送出版協会刊 本体価格874円)




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