ナブルス包囲
The Siege of Nablus


2003年2月17日
アン・グウィン( Anne Gwynne )
ナブルス地区

慈悲とは張りつめたものではない。それは優しい雨のごとく、天から地に降り注ぐ。(シェイクスピア『ヴェニスの商人』)

この1週間に起こったことで、私は怒りのあまり感覚を失ってしまっています。まず、火曜にカルキリヤで8歳の少年、ハッサン・アルグール(Hassan Algoul)がイスラエル兵に殺され、この非道な行為に対する報復として、戦闘員たちが、これまで多くのパレスチナ人殺害が起こったナブルスで最悪の検問所を襲撃しました。彼らは、少なくとも2人のイスラエル兵を殺害し、何人かを負傷させたのですが、しかし、それは自分たちの命を代償にしてのことでした。その内のひとりは、私の知っている人物でした。さらに、その翌日の夜、8人の兵士の一団がヒルフェフ(Khilfeh)家(テル・アヴィヴの自爆攻撃者、バラク(Baraq)の家)にやってきて、あらゆるものを破壊した挙げ句に、バラクの弟、ムハンマド・ヒルフェフを見せしめとして連行していきました。この時には、ヒルフェフ家にスウェーデンから来た私の友人でもあるマルガレーテがいたため、ムハンマドに対して暴力はふるいませんでしたが、マルガレーテには怪我を負わせました。連行後、ムハンマドがどう扱われたかはわかりません。

次の日の夜、イスラエル兵たちは市内のある家に押し入り、若い父親を惨殺しました。一家は、殺戮の一部始終を見ていなければなりませんでした。検屍を行なった病理医と話をしたところ、若い父親の体には、頭部、胸部、両の手足、背中、腹部、あらゆるところに60を超える傷があったということです。何発もの銃弾が背中から腹部に貫通していたのに加え、多くのナイフによる傷があり、これは私もX線写真と通常の写真で確認しました。さらに、殺される前に、彼は右手の人差し指を切り落とされていました。イスラームの教義によって、彼は死ぬ前に右手の人差し指を使って、最後の言明に付随する所作をするに違いないと、イスラエル兵たちは考えたのでしょう。でも、イスラームにおいては、所作はたいしたことではありません。重要なのは、心の内にあるもの――ですから、ここでもまた、イスラエル兵たちは単純な思い違いをしているのです。体にはナイフによる切り傷と、とがったもので突いた多くの傷痕がありました。この狂乱した殺傷行為の最終段階は、5センチほどの長さの何ともいまわしい小さな物体を多数撃ち込むことでした。シャフトとヒレ状の尾部突起(テールフィン)を持ち、ボール状の先端に鋭いスチールの針が多数付いていて、この針の部分が身体に撃ち込まれると、大量の出血を引き起こし、動かすことさえできなくなってしまう(動かすとそのまま死んでしまう)のです。彼が死んだのちに、イスラエル兵たちは、爪先からふくらはぎまでの部分を切断し、背中をすっぱりと切り開いていました。いずれも、恐ろしく鋭利なナイフでなされていました。

この検屍医には来週また会う予定で、その時に、上記の写真およびそのほかの多くの殺害された犠牲者の写真をもらうことになっています。それらの写真は、ご遺族の許可を得たうえで、インターネット上にアップしたいと思っています。たとえば、ラーミー・アブー・バクリ(Rami abu Bakri)の写真――憶えておられるでしょうか。1カ月前、石を投げたためにバラータ・キャンプで殺された16歳の少年です。彼の遺体には頭がなかったと、検屍医は震えながら話してくれました。さらに、救急車が、ばらばらになった少年の遺体を集めていた時点では、胸郭もすっかりなくなっていて、からっぽになった胸の空洞部に、心臓がむきだしになって転がっていたということです。

たとえば、アスカール・キャンプの16歳の少年、オマール・アルーシュ(Omar Alloush)。オマールは、いまだに胸部ドレーン(排液管)を付けたままで、あまりの痛みに、死にたいとさえ思っているほどです。胸部と肺に大きな穴が開いてしまったためですが、その穴を作り出したのは、右肩から入った榴散弾によるもの。そして、オマールが銃弾を受けたのは、石を投げたから、なのです。

たとえば、2週間前に起こったザワータ殺戮(Zawatta Murders)の2人の犠牲者。彼らは砲弾を受けてばらばらに吹き飛ばされ、そうして死んだのちに、その死を強調するというだけのために、無数の銃弾を撃ち込まれていました。ずたずたになった2人の遺体から内臓が垂れ下がっている光景は、おそらく、見る人に、この地で何が起こっているのかを歴然と知らしめることになるでしょう。変革を起こすために、いったいどのくらい、こうした写真が要るのでしょうか?

あるいは、各地のキャンプで起こった3人の殺戮、その内でも、石を持っていただけで戦車に轢き殺された少年の写真。ラフィディア病院には、こうした写真が何千枚と保管されています。私たちはこれから、これらの写真をできるだけたくさん送りたいと思っています。

ばらばらにされた家族の写真も撮っておければよかった――そう思っています。今週、一家の叔父や従兄弟や兄弟や夫たちが、単に生きているというだけの理由で、多数、拉致されました。火曜の夜には、フセイン・ハリーリーの弟、サーミーが、私たちの滞在しているフラットで夕食をとったのち、午前1時ころに連行され、2時間後には刑務所に収監されました。第1次インティファーダの時に、ファタハのリーダーだったアブー・フセインの息子であるという以外に、サーミーが収監される理由はまったくありません。イスラエル軍はまた、フセイン・ハリーリーの2人の叔父も拉致しました。昨夜、私たちは、彼らは今度はフセインを捕まえにくるだろうと思って1晩中、待機していました。フセインは結局のところ、正気を失ったイスラエル人たち[*1]が最も憎んでいる人間のひとり――平和活動家だからです。その時には兵士は現われなかったのですが、今日の午後5時に、フセインは連れていかれました。さらに、従兄弟もひとり。この従兄弟は、彼らが探している人物ではなかった――当人は見つからなかった――のですが、要は、従兄弟なら誰でもいい、というわけです。

[*1]この表現は、イスラエルの人すべてに向けられているわけではありません。これまで報告してきたような残忍粗暴な政策を指示・実行している人たち、パレスチナの地がずっと占領されてきたことを支持している人たちに向けたものです。

昨晩、トゥルカレムとバラータで、大々的な軍事作戦が展開されました。今後とも、こうした行動が増えていくのは疑う余地がありません。ナブルスは今、極度に危険な状態にあります。合衆国の活動家、スーザンは、額から1センチのところを狙った銃撃を受けました。威嚇射撃とはいえ、頭から1センチしか離れていないところを何発もの銃弾がかすめていったのです。検問所でも毎日、外国人活動家に向けて銃が発射されています。日々、おまえたちを殺してやると怒鳴ってきた、狂乱したイスラエル兵たちの恐喝が、今では外国人活動家にまで向けられるようになっているのです。包囲態勢が強化されていくとともに、事態は日々、悪化の一途をたどっています。これはもう、ナチによるスターリングラード包囲と変わりません。どうしてこんなことを続けるのが許されるのでしょうか? このナブルスの完全封鎖の悲惨な状況については、また明日にでも、もっと詳しく伝えたいと思います。

でも、想像を絶した困難の中にありながら、ナブルスの人たちは、できるかぎり平常の生活を続けようとしています。先ごろは1週間にわたる新年のイード祭があり、親族友人の訪問やご馳走、笑いと愛情がいっぱいにあふれました。でも、悲しいことに、イスラエルは、このホリディのさなかにも、殺戮と拉致の饗宴をやめることはありませんでした。多くの犠牲者が出ました。アルアイン(Ala’ayn)難民キャンプでは、3人の子供の父親、ムハンマド・シャフラン(Mohammad Shahlan)が胸を撃たれて死にました(イスラエル軍は別の人物を探していたのですが、いずれにしてもムハンマドは殺されました)。タムーン(Tamoun)村では、13歳の少年、アリフ・ビシャールト(Arif B'shart)が殺されました。ジェニンでは、脳腫瘍を患っている40歳の女性、イスマ・アブー・ヘジャ(Isma abuHeja)が、夫が顎鬚を生やしたムスリムだというだけの理由で逮捕されました。イスマに下された判決は、6カ月の予防拘禁――悪性のガンに冒されている彼女は、たぶん、この拘禁生活を生き延びることはできないでしょう。

現在、不法にイスラエルに拘禁されている人の数は、1万3000人にのぼります[*2]。

[*2]実際のところ、正確な数を示すのは難しいのですが、イスラエルの人権団体ビーツェレム(Btselem)の推計によれば、2001年1月から2003年2月の間に、安全問題に関連して拘禁されたパレスチナ人は4815人。この内、1100人を超える人は、行政拘禁という形で、明確な理由を知らされることもなく、また、正式に告訴されることもなく、平均して6カ月間、刑務所に収監されています。

ナブルス市の男性で、銃弾やナイフによる傷、骨折を経験していない者に、私は、これまでひとりとして会ったことがありません。サーミー・ハリーリーは、収監経験のない唯一の少年だったのですが、これも今や修正されることになってしまいました。

もっともっと多くの人にナブルスに来てもらい、この街だけが提供できる体験を味わってもらいたい――私は心からそう思っています。これほどまでに豊かで親密で愛情あふれるコミュニティ。ナブルスは、訪れる人すべてに、比べようもない豊かさを与えてくれます。

原文

(翻訳:山田和子)


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