パレスチナ関連文書ライブラリー

国連学校に居住する避難民たちの苦しみ

拡散歓迎

京都の岡真理です。
国連学校に避難している難民たちについての短いルポです。
英文サイトに現場の様子を知らせる写真が2枚あります。

家を追われ難民となったガザのパレスチナ人は、現在52万人に膨れ上がっています。

原文:The Suffering of Displaced Gaza Residents at UN Schools

国連学校に居住する避難民たちの苦しみ

アラー・ハンムーダ
IMEU/2014年8月12日

戦争が一か月以上にわたり継続した。パレスチナ人が体験したどの戦争よりも長く、過酷な戦争だ。罪のない人々が殺され、家々が爆撃され、人々は依然、国連の学校で避難生活を続けている。彼らにとっては、そこしか居られる場所がないのだ。

ベイト・ラヒヤ出身のムハンマド・アブーダラビーさん(40歳)は言う、「私は10人家族でしたが、ベイトラヒヤの自宅から国連学校に避難しました。イスラエルが、自宅を離れろと言ったからです。」

国連学校で域内難民の家族たちが置かれている状況は悲惨だ。教室は人間で溢れかえり、ゴミが学校の中にも外にもいたるところに。避難家族の中には家畜と一緒に避難した者たちもいる。学校は羊や馬や牛でいっぱいだ。

ガザ北部のハリーファ・ビン・ザーイド校の校長、ズィヤード・アブー・サブハにインタビューすると、彼は言った。「この学校の避難民たちは本当に貧しい者たちばかりです。彼らの生活状況はひどいものです。私たちは彼らに食糧も衛生的な飲料水もほとんど提供することができないでいます。」

「ハリーファ・ビン・ザイド校には、4500人の避難民がいます。ひとつの教室に20人が寝起きしています。すし詰め状態で、人々は机の上で寝たり、床の上で寝たりしています。もし、戦争が終わらなければ、危機的状況になります」。

国連学校の避難民らは、自宅を退避しなければならなかった。家の中にいるあいだに自宅を爆撃された者たちもいれば、退避した後に家を失った者たちもいる。

ガザ北部のベイト・ハヌーンから来たムハンマド・カファールナさんは、家を追われて28日になる。「自宅は爆撃されました。その日、私たちは家の中にいました。6歳になる子供が亡くなり、妊娠中の妻は赤ん坊を亡くしました」、彼は涙ながらに言った、「私たちはこれからどうすればいいんですか?どこに行けばいいんですか?子どもたちはホームレスになってしまった。」

家を追われ難民となった者たちの大半は国連学校に退避した。彼らが行くことのできる唯一の避難場所で、そこなら安全だと皆、信じていたからだ。不幸にも、国連の学校は、イスラエルの戦闘機の攻撃目標となった。

OCHA[国連人道問題調整事務所]のガザ緊急状況報告によれば、ガザ総人口の30%にあたる52万人が家を追われ、緊急シェルターで生活している。6つの国連学校がイスラエルに攻撃され、多数の死傷者を出した。

「私は自宅を失い、ジャバリヤ難民キャンプのアブーフセイン学校に避難しました。突然、私たちは学校で爆撃の音を聞きました。ショックでした。国連の庇護のもとにあると思っていたのに。どこに行けばいいのですか?ほかに安全な場所などどこにもありません。」ベイト・ハヌーンから来たムハンマド・アブー・ジャラドは、絶望的な声で言った。

痛々しい泣き声や悲しみに満ちた叫びが、イスラエルの戦闘機に直接、攻撃されたアブー・フセイン校で避難民の子どもたちから聞こえてきた。絶望と痛みが、父を失った11歳のマハーの上に色濃く表れていた。マハーは国連学校で何が起きたのか、話してくれた。「私たちはベイト・ハヌーンの自宅を離れてアブー・フセイン校に避難しました。突然、いくつもの爆弾が私たちの頭上に振ってきました。私たちは子どもです。私たちはイスラエルに何もしていません。お父さんを返してほしい。イスラエルがお父さんを殺したんです。」

[翻訳:岡 真理]

このページは パレスチナ情報センター が管理しています。