パレスチナ関連文書ライブラリー

戦時の生

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京都の岡真理です。

停戦発効の3日前に、Mondoweiss に投稿された、ガザ・イスラーム大学の卒業生(英文学専攻)、21歳になるラナ・アル=シャーミーのエッセイ「戦時の生」をご紹介します。

先ほどのメールでご紹介したアリー・アブーニウマの記事(イスラエル ガザ戦争に敗北、だが、ジャスティスを求める闘いは続く)の最後で、著者は、ガザのパレスチナ人作家、リファアト・アル=アリールの次のような言葉を引用しています。

「これは、勝利だ。なぜなら、[世界中の]より多くの人々が、ただ祈るだけでなく、BDSを実行するという実際的行動によってパレスチナを支えようと心に決めたから」

祈ることも大切です。でも、今ある不正な現実を変えるためには、ただ祈るだけでなく、その思いを実際的行動に移すこと。ラナも次のように書いています。

「あなたのヒューマニティを証明して、今すぐ行動して!あなたの声をあげて!真実を伝え、レイシズムを止めて!(……)人間になって。」

戦時の生

ラナ・アル=シャーミー
Mondoweiss/2014年8月24日

私はガザのハーン・ユーニスに住んでいる。21歳。ガザ・イスラーム大学(IUG)の卒業生。自分の郷土が爆撃されるのを深い痛みと悲しみをもって見つめ続けている。戦争は48日目を迎え、永続的停戦の徴は何もない。ガザの人々は大量の死と大量の破壊を経験している。人々は外出してわずかばかりの用を足すことさえほとんどできない。寝ることさえできない。

2014年7月29日はイスラーム教徒の祝いであるイード・アル=フィトル[断食月明けのお祝い]の2日目にあたっていた。お祭りをするはずだったけれど、お祝いしたい者などガザには誰もいなかった。私の家族は、聖なるラマダーン月の1ヶ月を、自宅の西側にある一部屋に集まり、肩を寄せ合って過ごした。そこが我が家でいちばん安全な場所だと父は考えたから。私たちはみなの携帯電話を充電し続けた。停電になっても引き続きニュースを受信できるように。

その前夜は最悪だった! F16が隣家を狙い撃ちしたのだ。よく覚えている、あれは午前3時ごろだった。何も見えなかった。ただ、空が真っ赤になり、救急車の灯りが明滅していることしか分からなかった。この攻撃で1人が亡くなり、3人が重傷を負った。でも、私たちは、イスラエルのあの有名な、翌朝まで退避しているよう警告すると言われているチラシなど受け取りはしなかった。

ガザで私たちにできることは、ただただ、必死に生き延びようとすることだけ。地区を離れる準備をするようにと父さんに言われた。まだ10歳にしかならない弟のムハンマドは、泣きながら、自分のおもちゃを鞄に詰めはじめた。「お姉ちゃん、ぼくの大好きなスパイダーマンのおもちゃも、いっしょに連れていきたいよ。ぼくはいつも、スパイダーマンといっしょにたたかっているんだもん、スパイダーマンはぼくの友だちなんだもん。ぼくは生きたいよ。大きくなって、大学に行きたいよ。結婚して、ちっちゃな子どももほしいよ。」

父さんはあちこちの友人たちに電話をかけまくり、私たちが滞在できる、どこか安全な場所はないかと訊ねた。地元の学校に行くのが良いと言う友人もいれば、自分の家に来なさいと言ってくれた人もいる。友人宅に向かいながら、私たちは、家を追われた人々の、胸の痛むような光景をたくさん目にした。1948年のカタストロフ(ナクバ)よりも悲惨だった。

3日後、72時間の停戦が発表された。父さんはイスラエル国防軍(IDF)による被害を確かめに、すぐに自宅に戻りたがった。母は父に、せめてもう1日友人宅にとどまるように願ったけれど、父を説得することはできなかった。

祖母と叔母はガザに対する戦争が始まってからずっと、自宅にいた。祖母は病気のため、耳がよく聞こえない。父さんと叔父さんが、救急車で祖母をより安全な場所に退避させようとしたけれど、祖母は頑なに拒んだ。「いいえ、私は自宅を離れたりはしません。ここは私の土地であって、彼らの土地ではないんだから。」

私たちは12時に家に着いた。母は服を洗濯し、食事を準備した。私は自分の部屋に行き、ちょっと眠った。ここ数日、寝ていなかったから。睡眠不足のせいで、頭が爆発しそうだった。父さんは金曜礼拝をしにモスクへ行った。そのとき突然、叔母から電話があった、「あなたたち、そんなところで何してるの? 家からすぐに出るのよ! イスラエルの戦車部隊がすぐそこまで来てる!」

戦車が私たちの地区にまでやって来るなんて、考えたこともなかった。母さんは動転して、すぐには立ちあがれなかった。父さんは靴も履かずにモスクから走って帰ってきた。砲撃がいたるところに降り注いだ。なんという恐怖! 私は2階の自室にいた。どこに行けばいいのか、何をすればいいのかも分からなかった。私たちは1ヶ月以上、電気もなく、水もなく、インターネットもなかった。親戚の者たちはみな、あちこちに散ってしまい、彼らとの連絡も途絶えていた。

私たちを屈服させようと、ハーンユーニスへの爆撃が続いた。イスラエルはアバッサン・アル=カビーラとベニー・サヒーラの村の住民たちに、来たるべき地上侵攻を避けるために安全なハーンユーニスへ避難しろという警告用のチラシを落としていた。イスラエルはどうしてこんな嘘がつけるの? 地上軍の砲撃よりも、爆撃の無差別な標的になる方が安全だというの?

2014年8月21日、私は結婚式を挙げるはずだった。真っ白なウェディングドレスを着るはずだった! 私がずっと憧れていた瞬間のはずだった。でも、その代わり、その日、30人のパレスチナ人が殺された、血も涙もなく。

ガザに対する過去2度にわたる戦争(2009年の戦争と2012年の戦争)から回復してはいなかったのに、今また、新たな戦争を経験している。傷ついた子どもたちの姿が、私の脳裏に深く刻まれている。通りに遺体がいくつも転がっている光景に息が止まりそう。いたるところ血の匂いが満たしている。

イスラエルは過去数週間、3つの人道的停戦を破った。イスラエルはその軍事作戦を拡大し、砲艦やミサイルで、どこであろうと、誰であろうと標的にする。血が煮えくり返るほど、私は怒っている。なぜかって? それは、イスラエルが、私の故郷を蹂躙しているから。合衆国やアラブの指導者たち、そして人権団体までが沈黙を守っているから。

もちろん、世界じゅうの大勢の人々が私たちに共感を寄せてくれているということを、ガザの人々はよく分かっている。でも、私たちが今、切実に必要としているのは、これらの人々がその共感を行動に変換すること!

あなたのヒューマニティを(あなたが人間であるということを)証明して、今すぐ行動して! あなたの声をあげて! 真実を伝え、レイシズムを止めて! お金や人気取りのために、堕落して自分を失わないで。人間になって。イスラエルのレイシズム、ファシズム、コミュニズム、抑圧に、資金を提供したり支援したりしないで。私たちはみな、同じ人間性を分かち持つ、同じ人間なのだから。

アメリカ人であろうと、フランス人、イタリア人、ムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒であろうと、あなたが何であろうと、どこの国の人であろうと、人間であって。私たちは、この恐ろしい集団殺戮を終わらせるために、ひとつになって協力しなければ。私たちが求めているのはひとえに、ジャスティス/公正だけ。

[翻訳:岡 真理]

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