パレスチナ関連文書ライブラリー

ガザは私たちにシオニズムの原罪を思い出させる

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京都の岡真理です。

ガザのジェノサイドは、この夏、突然、始まったものではありません。ガザはこの6年間に3回もの「戦争」に見舞われました。なぜ、ガザは繰り返し、このような攻撃にさらされるのか。

経済的観点から答えるならば、軍事産業を基幹産業のひとつとするイスラエルにとって、ガザの定期的な「芝刈り」は、新兵器の性能を試すために不可欠だということ。ガザは新兵器開発のための実験場なのです。

思想的な観点から、イスラエル出身のユダヤ人アクティヴィスト、ミコ・ペレドは、ガザとはイスラエルにとって、実存的恐怖なのだ、と言います。なぜなら、ガザは、イスラエルのユダヤ人にシオニズムの原罪を思い出させるから──。

ミコ・ペレドの経歴は異色です。

祖父はイスラエルの「独立宣言」の起草者の一人。父親はイスラエル軍の将軍。しかし、第三次中東戦争後、西岸とガザの占領に反対し、平和活動家として二国家解決を訴えるようになります。ミコ・ペレド(1961年生まれ)も最初は軍人になりますが、1982年のレバノン侵攻で軍に嫌気が差し、空手家に転身(黒帯6段)、サンディエゴで空手の指導員になります。しかし、1997年、姪が自爆攻撃で殺されたことを契機に、平和活動を始めます(彼の平和活動家としての思想の根底には、空手の非暴力の思想があるようです)。著書に、『将軍の息子──あるイスラエル人のパレスチナの旅路』。

「二度とこのようなことを繰り返さないために」、ミコ・ペレドもまた、その思いを実際の行動に表すことを訴え、BDS(イスラエルに対するボイコット、投資引上げ、制裁)の必要を強調しています。

以前、ある大学でガザについてお話しする機会があったときに、BDSキャンペーンについて言及したところ、ある学生さんの感想に、「イスラエルにもシオニズムに反対するユダヤ人がいると思うので、自分はボイコットはしたくない」と書かれていました。現実には、ミコ・ペレドやイスラエルのユダヤ人の歴史家イラン・パペなど、イスラエルの反シオニストのユダヤ人が、反シオニストであるからこそ、レイシズム体制であるシオニズムの廃絶のために、世界に向けて、BDSへの参加を訴えている、ということをご理解いただきたいと思います。

ガザは私たちにシオニズムの原罪を思い出させる

ミコ・ペレド
エレクトロニック・インティファーダ/2014年8月19日

アル=カドルの夜の翌朝、ガザの死者数は、1000人に近づいていた。アル=カドルの晩──聖なるラマダーン月の最後の金曜日の前夜のことだ──、預言者ムハンマドにクルアーンの啓示が下されたと信じられている。私はこの特別な晩を、占領下の西岸地区の町ラーマッラーで友人たちと過ごした。ガザのための「48K行進」に参加したあとのことだった。

行進はラーマッラーから始まり、カランディア検問所まで続いた。子ども連れやベビーカーに乗った赤ん坊を連れた家族もいて、行進は平和的なイヴェントとして始まった。だが、最後はパレスチナ人の青年たちが銃で撃たれ負傷し、地元の病院に急いで救急車で搬送されるという事態となった。カランディア検問所は要塞のように堅個で、最上階に配置されているイスラエル兵が群衆に対し実弾を発砲していた。

群衆の間を複数の救急車がスピードをあげて走り抜けていくとき、私は、カランディアとラーマッラーのあいだになぜ、病院がひとつもないのだろうと訝った。エルサレムやアル=ビーレやラーマッラーの市町村があり、それなりの距離があるのに。

翌晩、私はパレスチナを離れ、合衆国に帰国する予定だった。だが、イスラエル軍がその夜、ラーマッラーからエルサレムへ行くすべての道路を封鎖し、翌日も封鎖は続くものと思われた。

夜明けとともに事態は沈静化し、友人のサーメルは検問所が開くのではないかと考え、私を検問所まで車で送ってくれた。検問所はイスラエル人に対してのみではあったが、開いていた。そこから私は、エルサレムに戻った。

その晩、テルアビブに近いベングリオン空港に向かう準備をしている私を、まわりの者たちが必死でなだめすかしていた。「ことを荒立てるなよ、協力すれば、悪いようにはされないから」と彼らは言う。「なぜ、こんな不必要な不便を被らなくてはならないのか?」 彼等は、「微笑むゲシュタポ」、つまり空港保安局という清廉な名で通っているテルアビブ空港のイスラエル人保安要員について話をしてくれていた。

非協力と抵抗

それを聴きながら、私は、ナチ支配下のユダヤ社会のことを思い出した。彼らは、ナチに協力して良い市民であることを示せば、すべてはうまくいくと考えていた。だが、協力は強制収容所とガス室に直行する道だった。

ベングリオン空港でレイシズムによる差別と辱めを与えるという政策も、ガザのパレスチナ人を民族浄化し殺害するという政策も、どちらも同じシオニズムのイデオロギーから発している。過去70年間にわたり私たちが目にしてきたように、協力し、おとなしくしていることは、物事をよくしたりはしないのだ。

イスラエル当局と協力することは、つかの間、苦痛を取り除いてくれるかもしれないが、それは同時に、イスラエルがパレスチナ人に恐怖を与え辱めるという権利の正当性を、「私たち」つまりすべての良心ある者たちが同意し認めるということでもある。パレスチナ人であろうがなかろうが、今、訴えるべきは、不正に対する非協力でありレジスタンス/抵抗である。

今日、イスラエルとその支持者たちは、ガザにおける暴力の非はハマースにあるとしている。しかし、イスラエルがガザに対する攻撃を開始したのは、ハマースが結成された1980年代後半ではない。イスラエルは、1950年代初頭、最初の難民世代がガザ地区に住み始めたとき、ガザに対する攻撃を始めた。パレスチナ人、とりわけガザの人々には、抵抗して殺されるか、平和に生きるかなどという選択肢はない。彼らに提示されている選択肢は、立ちあがり、闘うか、ベッドで寝ていて殺されるか、なのである。

憎しみの海

ガザは罰せられているのだ。なぜならガザはイスラエルに、そして世界に、パレスチナの民族浄化といわゆる「ユダヤ国家」の創設という原罪を絶えず思い出させるからだ。パレスチナのレジスタンスがイスラエルにとって軍事的脅威でないときでさえ、それは、[イスラエル]国家にとって実存的脅威であるとされた。

有名な隻眼のイスラエル人将軍、モシェ・ダヤンが演説でそのように述べたのは、1956年4月のことだ。彼は、ガザ地区との境界上にあるイスラエルの入植地、ナハル・オズ・キブツで演説をおこなった。ここは、ガザに対する地上侵攻があるたびに、イスラエルの戦車が駐留するところだ。

「この境界の溝を超えて、憎しみと復讐の海が波となって打ち寄せる」、とダヤンは演説で語った。皮肉なことに、6カ月後、イスラエルがガザを占領したとき、その軍事司令官に任命されたのが私の父だった。父は、「憎しみもなければ、復讐したいという気持ちも」見えなかったという。「人々はよりよい未来のためにみなでがんばって生きようとしていた」

今日なお、イスラエルの司令官や政治家たちは同じことを言う。イスラエルは剣によって生きるよう定められており、ガザを叩けるときに叩かねばならないと。パレスチナ人がイスラエルにとって軍事的脅威でなかったとしても、そのような事実にはおかまいなしに。

結局のところパレスチナ人は、正規軍はもとより、一台の戦車も、一隻の戦艦も、一機の戦闘機も、ももったためしはない。

では、なぜ、このように恐れるのだ? なぜ、60年間も、ガザに対する軍事攻撃を不断に続けるのか? なぜなら、ガザのパレスチナ人が、ほかのどこにいるパレスチナ人にも増して、イスラエルの正当性に対する脅威であるからだ。

イスラエルとは、レイシズムと植民地主義が合体して不法に生み出された存在である。ガザ地区の住民の大多数を構成する難民たちは、[イスラエルに]このことを絶えず思い起こさせる。

彼等は、イスラエルが民族浄化の上に創られたという罪を思い出させるのだ。[ガザにおける]貧困、資源の欠如、自由の欠如は、イスラエルに存在する有り余る豊かさ、自由、パワーの対極にあるが、これらは本来、パレスチナ人のものなのだ。

寛大な申し出

その晩のベングリオン空港に話を戻すと、私は、協力して当直長にお願いすれば、セキュリティ検査が速く済むだろうと言われた。私がこの寛大な申し出を拒否すると、「おまえの態度が気に入らない」と言われた。

彼らは私のスーツケースにパレスチナ人と同じバーコードのステッカーを貼り、パレスチナ人を扱うのと同じように私を扱った。

これらの言葉を書いているあいだにも、ガザではイスラエルによって殺されたパレスチナ人の数は2000を超えた。シオニズムによってパレスチナに創られた、耐え難い残忍なレイシズムの体制を終わらせることは私たちの時代の要請である。

パレスチナ人のレジスタンスを批判するのは、良心に照らして受け入れがたいことだ。イスラエルに対してボイコット、投資引上げ、制裁がなされねばならない。イスラエルの外交官は、恥のうちに本国に送還されなければならない。海外渡航するイスラエルの指導者たち、イスラエルの司令官たちは、起訴されることを恐れなければならない。

これらの手立てが、不服従、非協力、そして不屈のレジスタンスと同時に生起すること。これが、これだけが、ガザの母親たち、父親たち、こどもたちに、世界がパレスチナに本気で向き合っていることを、「二度と繰り返さない」が口先だけの約束ではないことを示すだろう。

[翻訳:岡 真理]

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