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2009.01.29

(ガザ侵攻関連:翻訳)癒しようのない心の傷

Posted by:情報センター・スタッフ

いわゆる「停戦」になってすぐの1月20日に書かれた、ISM メンバー、エヴァ・バートレットさんの記事です。これまでガザに入れなかった外国のジャーナリストたちも次々と現場からのレポートを送りはじめています。しかし、外国のジャーナリズムは、現場に入っても、必ずしも正しい報道をするとは限りません。「今回の攻撃の現状」にフィックスすることで、逆に大きな視点・本質的な問題点を見失ってしまうことも充分に考えられます。私たちはこれからも、バートレットさんたちが伝えつづけてきたような「本当の現場の声」に耳を傾けつづける必要があると思います。


癒しようのない心の傷

エヴァ・バートレット
エレクトロニック・インティファーダ/Live from Palestine
2009年1月21日

《2009年1月20日》

ガザ市シャジャイヤ地区、無惨な姿をさらしているワファ・リハビリテーション・センターから続く通りはどこも黒い汚物があふれ、強烈な下水の臭いをまき散らしていた。12日に白リン弾と思われる化学弾を撃ち込まれて屋根が焼け落ち、15日にも4棟の建物が激しい爆撃を受けた病院は、治療の再開に向けて懸命の再建作業を続けているところだった。同じように爆撃され、火災を起こし、ひどい損傷を受けた、タル・アル・ハワ地区のアル・クドゥス病院でも状況は同じだ。

一緒に行動しているカナダのTVのクルーに「火は昨日まででおさまったようです」と言ったばかりだったのに、まだ何カ所も燃えている個所があり、折々に、あちこちで新たな白い煙と炎が上がるのが見えた。こうした光景は、私はもう何度も目にしてきたけれど、TVクルーは、爆撃から8日がたった今もチロチロと燃え、くすぶり、いつなんどき勢いよく炎を上げて再び燃え出すともしれない状態が続いていることに驚きを隠せなかった。

北部ガザの赤新月社チームは、少し前から、エズビット・アービド・ラブ地区のステーションに集まって、透明なプラスチックフィルムを窓の大きさに合うように切っていく作業を進めている。家や周辺に爆弾が落ちてガラスを吹きとばされてしまった窓に貼るためで、とりあえず寒さをしのぐためのサポートの第一歩だ。でも、家をなくしてしまった人たちには何を提供できるだろう。せめてテントでもあればいいのだが。

病院の様子を見たあとで、私は数時間にわたって、ある大家族の人たちに話を聞くことができた。家への砲撃、白リン弾によるとおぼしき火災、家を占拠したイスラエル兵たちが残していったおぞましい落書きの数々、4日間、食べ物も水も薬もなく、トイレにも行かせてもらえないまま、家に監禁されていた高齢の両親、飼っていた羊と山羊までが殺されたこと。監禁されていたウンム(お母さん)はいまだに恐怖が抜け切らない様子で、合間に何度も何度も「話を聞いてくれてありがとう」と言いながら、恐ろしかった数日間の出来事をとめどなく話しつづけた。「本当に恐ろしいものを見てしまった。身の毛がよだつようなことばかり。これまでイスラエル兵は3回やってきたけど、今度のが一番ひどかった。道端にはいっぱい死体が転がっていた。私たちはただの年寄りなのに、なぜこんなことをするの?」 ふたりはひと部屋だけの自分たちの家から息子たちの家の1室に連れていかれて、そこに閉じ込められ、イスラエル兵は、ウンムが毎日飲まなくてはならない薬とインスリンを取り上げて、足で踏みにじった。ウンムより年上のアブー(お父さん)は胸ポケットから吸入薬の容器を取り出して、これも閉じ込められている間、使わせてもらえなかったと言った。

家族全員が友人であるアブー・N一家の家にも行き(このところ毎日行っている)、今日はアブー・N自身から詳しい話を聞くことができた。ずっとアブー・Nのことが心配でならなかった。3週間近く、アブー・Nは生きているだろうかと気をもみつづけたのち、2日前にようやく会うことができたのだが、その時のアブー・Nは、土気色と言っていいひどい顔色で、ナーバスで、完全に打ちのめされているように見えた。昨日も同じ、弱々しく、以前のアブー・Nの誇り高い年配者の雰囲気はほとんど見られなかった。奥さんを殺され、みずからも恐ろしい体験をしたのだから、それも当然のことだろう。それでも、今日は以前のアブー・Nにかなり戻っていて、笑い声を上げながら息子のひとりと会話の時間を奪い合う様子に、私は心から嬉しくなった。最初のうちこそ、途切れ途切れにしか英語が出てこなかったアブー・Nだが、自分の身に起こったことを証言するのだという固い意志に、言葉が少しずつ波打つように出てくるようになっていった。ウンム・Nを失って、このうえない悲しみに押しつぶされているふたりが、また元の自分たちを、生(せい)を取り戻しつつある姿を見るのは、とても勇気づけられることだった。

なんとも無作法ではあったけれど、私は夕食前にアブー・Nの家を辞した。みなが口々に、一緒に夕飯を食べていってくれと言った。普段だったら絶対に断ることはない。めちゃくちゃにされた家を、全員で少しずつ元の状態にしはじめたばかりの、こんな時ならなおさらのこと。占拠していたイスラエル兵が垂れ流していた糞便はすべて取り除かれた。この汚らしいイスラエル兵の置土産は全部袋に詰めて家から持ち出され、イスラエル兵が汚したカバー類もすべて袋に入れて燃やされ、粉々になった食器や、そのほかの壊された物もすべて片づけられた。家はガランとしていて、真新しい銃弾と戦車砲の痕がいたるところにある。そして、依然として家中に漂っている、なんとも言いようのない臭い。2週間にわたって家を占拠していた兵士たちが残していった糞便と、そのほかの得体の知れない汚ならしい物の不快な臭い。イスラエル軍が占拠していた地域の家はどこも、これと同じ悪臭が漂っていた。

とにもかくにも、アブー・N家の人たちが自宅の台所で夕飯の支度ができるまでになったことは喜ばしく、私をもてなそうというみんなの気持ちには本当に心暖まる思いだった。それでも、私は失礼しなければならなかった。アラファの家族のもとに行く時間だったからだ。

救急医療チームの一員として働いていたアラファ・ハニ・アービド・アル・ダイムが殺されたのは1月の4日、怪我をした人と遺体を救急車に収容しようとしていた時のことだった。

アラファが殺されてから14日めになって、家族はようやく3日間の追悼式を営むことができた。私は、一家の家に行って初めて、今日が追悼式の3日めだということを知った。当然ながら、奥さんの嘆きと悲しみ──心やさしい男性、よき夫、愛する子供たちの父親を失った奥さんの姿は、たとえようもなく痛々しかった。そして、私は自分がまだ泣くことができるのを知った。この3週間の間、ありとあらゆるレベルの怪我をした人たちを、死と紙一重の状態にある人たちを、これ以上考えられないほど凄惨な死に追いやられた人たちを見てきて、私は何事に対しても、驚くほどに動じなくなっていた。イスラエルの爆撃が続く恐ろしい時間を過ごすうちに、爆撃音を聞くだけで湧き上がる恐怖や、今、自分が爆撃を受けているのだと思う時のショックや恐怖、さらには死に対してさえも、ほとんど感情を揺さぶられることがなくなっていた。でも、アラファの奥さんの目を見つめ、奥さんの心の痛みを感じ、アラファを失った時の私自身の痛みを思い出していると、心の奥にある私の感情は最初のまま、なまなましいままで沸き立っているということが、このうえなくはっきりとわかった。いずれは、数え切れないほどの思いが表面に出てくるのだろう。状況がもう少し落ち着いた時になってから、抑えようもなく湧き上がってくるのだろう。

このことに気づいた時、私はハタと、もうひとつの厳然たる事実に思い至った。パレスチナの人たち、とりわけ、これまで何度となく繰り返される侵攻に耐えつづけてきた大勢の人たちには、実のところ、こうした痛み、心が受けた傷の深さに対処するすべがないのだ。心にダメージを受けるような事態はほかにもいくらでもある。軍事占領下での暮らし、自分や家族の一員が投獄される状況、ボーダーを閉ざされ封鎖された中での生活……これらは、無数の要因の中のほんの一部でしかない。

アブー・Nの孫のひとり、アブダッラーは、今ではほとんど泣いてばかりいる。2か月前に最初に会った時には、ちょっぴり生意気な6歳のわんぱく坊主だったアブダッラー。この子は今、爆弾の炸裂する音と無人機の飛行音の記憶からどうしても離れられないでいるように見える。無人機の音は、私にもすぐにわかる。今も──1月20日の真夜中、「停戦」の2日めに入った今も、無人機が頭上で旋回しつづけている。今ここで聞こえてくる違えようもない無人機の飛行音を、私は、この3週間の空爆とそれに伴う死から切り離して聞くことはできない。アブダッラーも同じなのだ。でも、アブダッラーが、今後、このことでどんなセラピーも受けることがないのはほぼ間違いない。家族がどれほどアブダッラーのことを思いやっていても、実際にそうしたセラピーを受けさせてあげられる機会はまず訪れないだろう。アブダッラーはこの重荷を、将来の重荷ともども、ずっと抱えていかなければならないのだ。パレスチナの大多数の人と同じように。

ガザに対してなされた今回の戦争の結果をまざまざと示しているものはいたるところにある。巨大なクレーター。すべての町や市の全域に広がる破壊された家とビル。焼け落ちた倉庫、店舗、病院、学校、車、そして、もぎとられた手足、焼けただれた皮膚、今もなお燃えつづけている火。しかし、アブダッラーをはじめとするガザの人たちの深い深い心の傷は、体の傷以上に、人々が生きる社会そのものを不具にしてやろうという意図のもとにもたらされたものなのだ。


エヴァ・バートレットはカナダ人の人道活動家、フリーランサー。2007年、西岸地区の各地に8カ月、カイロとラファ・クロッシングに4カ月滞在。2008年11月に第3次フリー・ガザ運動の船でガザに到着したのち、現地にとどまり、国際連帯運動(ISM)の一員として活動を続けている。現在、ISMメンバーは、救急車同伴活動を実施し、イスラエルのガザ空爆・地上侵攻の目撃証言を現地から発信している。

原文:"Profound psychological damage in Gaza"
Eva Bartlett writing from the occupied Gaza Strip, Live from Palestine, 21 January 2009

翻訳:山田和子


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