2009.07.02
結局、入植地問題はどうなる?――見落としてはならないこと
Posted by :早尾 貴紀
オバマ米大統領のカイロ演説に端を発する、アメリカ合衆国の入植地建設凍結要求と、それを頑なに拒絶するネタニヤフ首相の問題。事態は平行線のまま、アメリカは三ヶ月間の一時的凍結という妥協策を提示しつつ、和平交渉の糸口を見つけようという、大きくイスラエルに譲歩し、実質的には何も進展のない状況にある。
ネタニヤフ首相は、すでに既成事実化して西岸地区に居住しているユダヤ人入植者の「自然増加」分の住居建設は、これまでアメリカの政権が認めてきたことだ、と強固に主張している。
しかし、このレトリックには、いくつもの欺瞞がある。
そもそも入植者の「自然増加」とは何か? 長く入植地問題にはこだわってきたハアレツ紙のアキヴァ・エルダールは、統計資料を使い、こう指摘する。西岸地区のユダヤ人入植者の増加率は4.6%とされるが、実際の出生による増加は3.2%にすぎず、あとの1.4%は移民あるいはイスラエル国内からの移住による増加だ。
さらに、イスラエル国内のユダヤ人の人口増加率が1.6%であることに鑑みて、西岸地区内のユダヤ人の自然増加率がその二倍の3.2%というのは、「自然」ではない。この数字は、イスラエル国内のアラブ人の2.6%と比べてさえ高い。
そのイスラエル・アラブの街に対しては、アパートなどの住居の新築許可はほとんど下りていないのだ!(2000年に「今後五年間で5000軒のアパート建設を認める」という計画が出されたが一切実行されていない。)
加えて、東エルサレムの問題もある。併合された東エルサレム地域(イスラエルが統合エルサレムに編入した土地)の13%しかパレスチナ人は使用しておらず(建築許可も限定されている)、それ以外の残りは主にユダヤ人居住地に使用されている。それについては、オバマ大統領は、「入植地」として数えているのだろうか? そしてこれでもオバマ氏は「自然増加」という説明を部分的にでも受け入れるのだろうか?
もちろんこれでもまだ問題の本質には至っていない。
そもそも、どうしてイスラエルが「合法的所有」と主張する現行の入植地ができてきたのか、という問題だ。いかなるトリックで軍事占領地でしかないはずの他人の土地に、不法占拠ではないと主張できるような入植地ができたのか、だ。
詳細は後の機会に改めたい。ともあれ、オバマ氏がこの点にまで論及することは、、、まずないだろうなぁ。
2009.06.08
オバマ米大統領のカイロ演説をどう評価するか
Posted by :早尾 貴紀
新聞の国際面には、ひさびさにパレスチナ/イスラエル関係でまとまった記事がここ数日出ています。オバマ米大統領が中東を歴訪し、4日にはカイロで演説を行ない、中東和平に積極的に介入する姿勢を示しました。内容は主に、ヨルダン川西岸地区へのユダヤ人入植地建設問題についてイスラエルに「完全凍結」を求めること、パレスチナ国家の独立を支えることによって二国家解決方針を明確にすることでした。このため、どちらも拒否している右派内閣を発足させたばかりのネタニヤフ首相と軋轢が生じている、というのです。
たしかにオバマ大統領の姿勢は、ブッシュ前大統領の姿勢(対テロ戦争の同盟者として、入植地から占領政策まで全面的なイスラエル擁護)と比べれば、一定の「変化」に見えます。実際、相対的に見たら、前進と言えるかもしれません。
しかし、あまりにオバマ演説を大きな「変化」と見る報道の傾向(国際的には中東和平の前進/イスラエル内ではオバマの「裏切り」)について、ここで二点、異論を提示しておきたいと思います。
1、入植地建設の完全凍結ではまったく不十分。いつのまにか、判断の基準そのものが狂わせられてしまっているのではないかと思います。ブッシュ政権下で提示された「ロードマップ」(03年)でさえも「入植地の完全凍結」ぐらいは求めていました。そのブッシュ政権初期に戻った程度の提案にすぎないのです。
また、「凍結」とはどういうことでしょうか。「解凍」もありえると? それから、新たな建設・拡大は認めないということですが、すでに存在している48万人分の入植地は容認するということ? すでにある分については、「今後の課題」とさえしていないわけです。
2、二国家解決というのは、オスロ合意原則に戻るということですが、現在の和平の破綻は、オスロ合意そのものの失敗なのでは? オスロ合意を尊重せよ、というのは和平派の合い言葉のようになっています。しかし、第二次インティファーダは、オスロ合意からの逸脱なのではなく、オスロ和平プロセスそれ自体の行き詰まりの帰結だったはずです。
1993年の合意からインティファーダ勃発の2000年までの7年間で、入植地は20万人規模から40万人規模へ倍増。土地はどんどんと収奪され、東エルサレムは着々と包囲され、難民の帰還権も水利権も進展ゼロ。和平の配当どころか、貧困・失業の悪化。これが和平プロセスなのかと不満が爆発したわけです。
だとしたら、オスロ原則に戻るとか、あるいはそれを仕切り直したロードマップに戻るというのは、現実的な意味があるのでしょうか? 実質的に二国家つまりパレスチナ独立など不可能な状態になっているのに、口先だけで二国家を訴えるのは、空疎なパフォーマンスにすぎません。
入植地の「完全凍結」ではなく「全面撤去」、水利権も含む占領の全面終了、国境管理権の譲渡、東エルサレムの返還。これらを伴わない二国家宣言は詐欺だと言わざるをえません。
以上に二点に鑑みて、オバマ大統領のカイロ演説に期待をかけるのは間違いだと思います。
なお、ちょっと前に、『現代思想』2009年3月号の特集「オバマは何を変えるか」で、ノーム・チョムスキー「オバマのイスラエル-パレスチナ問題」(早尾貴紀訳)を掲載しました。こちらもぜひお読みください。
余談ではありますが、ネタニヤフ右派内閣首相は、二国家解決を拒絶し、「まずはパレスチナとの経済関係の強化が先決だ」と主張しています。なんとも日本の外務省・JICAの「平和と繁栄の回廊構想」(西岸占領地でイスラエルと経済開発事業)に親和的なことか!
2009.06.03
新潮文庫の翻訳小説新刊シェイボン『ユダヤ警官同盟』は「とてつもない」!
Posted by :早尾貴紀
マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟(上・下)』(黒原敏行訳、新潮文庫、2009年5月)は、オビの言葉にもあるように、「とてつもない」小説です。
イスラエルが1948年に建国に失敗し、ユダヤ人は再度、離散(ディアスポラ)!、という設定のフィクション。アメリカ・アラスカ沿岸のバラノフ島に避難民が殺到。結局、60年間の時限付き暫定特別区となった。その期限切れを目前にした2007年、さらなるディアスポラの動きがあるなかで、超正統派ハシディズムの指導者レベの子息が殺害される事件が、、、
ストーリーは書きますまい。
興味深いのは、この物語の核心に、そもそもユダヤ教の信仰が国家主義とは相容れないとする超正統派のコミュニティがあるということ。そして、再ディアスポラ化目前に、その教義と、それに反する人為的「帰還」とのあいだの、軋轢があること。
翻訳者は「訳者あとがき」で、この問題を説明し、わざわざ ジョナサン・ボヤーリン&ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力』(赤尾光春・早尾貴紀訳、平凡社) に言及してくださっています。ありがたい。
本のオビ裏には、「ハルキ・ムラカミの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』ばりの」などという売り文句がありますが、それどころではありません。エルサレム賞をありがたくいただきに行っている村上春樹とは、構想力が違います。『1Q84』なんて読んでる場合ではありません。『ユダヤ警官同盟』、よろしく。
(参考: 「早尾貴紀:本のことなど」 でも紹介記事。)
2009.05.30
『シリアの花嫁』の見方/補足あり
Posted by :早尾貴紀
2月からロードショーの始まった映画 『シリアの花嫁』 は、もうかなりの地域で上映されたようだ。好評で、6月、7月もまだまだ各地を回るらしい。
僕がこの映画を最初に見たのは、2004年の夏。当時滞在していたイスラエルでだ。公開してすぐのイスラエルでも、この映画は評判が高く、先行上映の映画祭やプレミアム上映では、チケットがすぐに完売し入手するのも困難だった。
僕がこの映画に関心をもったきっかけは、何よりもドルーズの国籍や政治的ポジションの困難さを描いていたからであった。02-04年にかけて、僕はドルーズのフラットメイトとともにエルサレムに住んでいた。彼といっしょに、別のドルーズをテーマにした映画も観ていた( 『凧』というタイトルの映画 で、こちらはイスラエルとレバノンとの国境を舞台にしていた)。
ドルーズとイスラエル/パレスチナ問題については、すでにいろいろと書いてきたので、これ以上は繰り返さない。その文章のリンクを ここにまとめてある 。
最近、僕がたいへんに尊敬してやまない二人の研究者の先達が、それぞれに『シリアの花嫁』に言及しているのを耳にした。
一人は徳永恂氏で、彼はアドルノやヴェーバーなどドイツ語圏の思想・社会科学の研究で知られ、極めて重要な功績を残している。その徳永氏が、ある研究会の場で、パレスチナを扱っている日本の一部のジャーナリストについて、あまりに単純にイスラエル断罪をしており反ユダヤ主義的傾向がある、と指摘した。たしかにそう言わざるを得ない面がある。
そのとき徳永氏は、複雑なイスラエル問題を知るうえで、『シリアの花嫁』はたいへんにいい映画なので、みなさんもぜひ観るべきだと言われた。
たしかにこの映画は、67年からイスラエル占領下におかれたシリア領ドルーズ・コミュニティの分断、無国籍状態について、そして世代を経たことによって、古い家父長制度をめぐる若い夫婦間のジェンダー・ギャップ、事実上イスラエル社会内部で進学していく若い世代(それを受け入れられない親世代とのギャップ)などについて、あるいはアラビア語とヘブライ語との混淆状況、ロシア人との結婚などの多文化的状況について、ひじょうによく描いている。
その意味で、パレスチナに関心をもつ人なら一度観ていていい映画だと思うし、徳永氏が推薦したのも頷ける。
他方、この映画を批判したのは、日本におけるパレスチナ研究の第一人者とも言える板垣雄三氏だ。いや、映画そのものに対する批判とは言えないかもしれない。むしろこうしたヒューマニスティックな映画が消費されることで、イスラエルによるパレスチナ占領という政治問題が、観衆のなかで帳消しにされかねない構造について危惧していると言ったほうが正確だろう。
映画はとりわけ容易にヒューマン・ドラマに訴えがちだ。これはドキュメンタリー作品についても同じだ。これと類似の問題を、僕はこれまでたびたび目にしてきた。
やはりエルサレム滞在中に観た『コラボレーター』という映画。イスラエル軍が利用してきた占領地のパレスチナ人の協力者が、占領地でバレて任務ができなくなった後に、イスラエル内のスラムで不安定な生活をひっそりと送っている。その日常を撮った映画だった。
このとき監督挨拶で、若いイスラエルのユダヤ人監督は、ヒューマニズムの立場からこの映画を制作した、と語っていた。それを「良心的」イスラエル人たちが観て感動して帰っていった。たしかに気持ちの悪い構図だ。この問題については、すでにスタッフ・ノートに書いた( 「映画『コラボレーター』の描いたこと」 )。
あるいは、山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映された、 『ガーデン』 という映画。この映画は、男性同性愛者ということもあり、故郷に居られなくなったパレスチナ人が、やはりテルアヴィヴのスラム街で男娼をしながら生活しているところを撮ったものだ。本当によく対象に迫っているし、イスラエル/パレスチナの複雑さをよく描いている。
しかし、これを撮った若いイスラエルのユダヤ人監督も、山形に来て会場質疑で政治的立場を問われたときに、「政治問題ではなく自分たちはヒューマニズムの問題だと思っている」と応えた。映画は素晴らしかったが、この質疑を聞いてガッカリした。
『シリアの花嫁』に話を戻そう。
この映画がよくできていることは確かだし、多くのことを効果的に訴えていると思う。その意味では、一人でも多くの人に観てもらいたい。そのことで、「イスラエル対パレスチナ」とか「ユダヤ対アラブ」といった単純な図式での理解(これは徳永氏の指摘するように「反ユダヤ主義」に通じる)が、少しでも是正されればと思う。
しかし同時に、「ヒューマニズム」の次元でこの映画を消費するだけに留まるならば、シオニズム自体に対する批判には至らないだろう。そうであるなら、シオニズム左派の文学者(アモス・オズやダヴィッド・グロスマン)の作品を日本の社会は80年代から消費してきたわけで、まだそこから一歩も前進していない、ということになるだろう。
『シリアの花嫁』のリクリス監督は、来日インタヴューで、「リベラルさと寛容が必要だ」と訴えていた。これがシオニズム左派の限界でもある。
少し補足します。
板垣雄三氏や、あるいは昨年僕が日本に招聘したドルーズ研究者で本人もドルーズのカイス・フィッロ氏もこの映画について板垣氏と同様の指摘をしていたが、批判のポイントをもう少し明確にすると、以下のようになるかと思う。
パレスチナ占領の問題、それから「ユダヤ人国家」の欺瞞の問題がかくも深刻ななかで、映画『シリアの花嫁』においてはイスラエルの「多様性」とか「人間性」が前面に出ていて、上記の諸問題を隠蔽することになる。しかも、シリア側の花婿一族や国境警備兵などは、典型的に不合理で滑稽な人物として描かれており、他方で、イスラエル側の内務省役人は職務の範囲内で最善を尽くす「人間」として、主人公の父親を逮捕しようとするイスラエルの警察官もギリギリのところで情をかける「人間」として描かれている。この非対称性はイスラエルを正当化する効果がある、と。
以上、補足でした。
2009.05.28
村上春樹のエルサレム賞受賞は、改めてやっぱり問題だったという気が、、、
Posted by :早尾貴紀
昨日(5月27日)発売されたという村上春樹(以下敬称略)の最新小説『1Q84』が、発売前からのAmazonでの予約数が1万を越えたということで、前代未聞の反響らしい。今朝(5月28日)も、朝からNHKのニュースで大きく取り上げていました。
僕個人としては、どうしてこの小説のタイトルが、ドクトル梅津&浅田彰が1984年に出した『1Q84』(カセットテープ付き、ペヨトル工房)と同じなのか、意識してないはずはないと思うので、そのあたりの意図は何かな、と気になるぐらい。ドクトル梅津ファンとしては。
この機に便乗して、ドクトル梅津&浅田彰の『1Q84』をCDブックで復刊してくれる出版社は現れないかと期待したり(ペヨトル工房は倒産してしまったので)。
それはさておき。
今朝のNHKの村上春樹の大反響についてのニュースを聞いていて、エルサレム賞受賞がこういう傍証として利用されるのね、ということを目の当たりにして、どうでもいいというよりは、やっぱり問題点のほうが大きかったかな、と思い直しているところです。
すでに、「 村上春樹のエルサレム受賞騒ぎが一段落したあとに、藤井貞和『湾岸戦争論』を読み返す 」を遅ればせながら書いて、村上春樹のパレスチナ/イスラエルに関する発言そのものにさほど関心がないこと、評価するとか批判する以前の話だと思っていること、を書きました。いまでも論じようという気は起きません。
ただ、今朝のニュースで、『1Q84』がものすごい売れ行きであること、それから世界中からすでに翻訳のオファーがあって、村上春樹の人気は海外にまで広がっていること、が語られていました。が、そのことの傍証として、真っ先に紹介されたのが、今年2月のエルサレム賞受賞とイスラエル国内での広い読者層。「権威ある文学賞であるエルサレム賞」を受賞したということは、村上文学の普遍的人気の証左なのだそうです。
もちろん、この1月のガザ攻撃のことも、そのために受賞ボイコット運動があったことも、一切NHKは触れていません。ただ好意的にエルサレム賞受賞を伝えるのみです。
ああ、いかにもという形で見事に使われたな、と思いました。
結局、村上春樹側とイスラエル側の双方にとって、エルサレム賞受賞は、相互利益だったということになるでしょう。それを見越して、エルサレム市は村上春樹を招待し、村上春樹もそれに応じた。暗黙の共謀関係と言ってもいいかもしれません。
受賞スピーチ直後は、こまかな比喩的文言をめぐって、イスラエル批判がどれぐらいあるか、それを肯定的に評価していいのかどうか、ってことが一部のあいだでは大きな議論になっていたようですが、果たしてその効果としては、批判性など一片も残ってはいません。残るのは、ただ「権威あるエルサレム賞を受賞した」という事実のみ。
最近、松葉祥一「村上春樹のエルサレム・スピーチを批判する」という論考が、 『オルタ』3-4月号 に掲載されました。
ひじょうにまっとうな批判だと思いました。イスラエル、パレスチナどっちの側も支持しない、という村上春樹のスタンスは、結局のところ相対主義に陥ってしまい、結局「どっちもどっち」という議論に還元され、批判力そのものを失ってしまっているのではないか、と。そして、村上春樹自身が文学(者)の役割として自任するところの、「最も弱い者の側に立つ」という立場を自ら裏切っているのではないか、と。
実際、そうなっていると言わざるをえないと思います。



