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パレスチナ情報センター

2004.02.24

モデル化される被害者像

Posted by :早尾貴紀

(以下は、11月に書いたものだったのですが、MLに投稿をするタイミングを失してしまい、お蔵入りしていた文章です。)

ヘブライ大の早尾です。

 先日、パレスチナ人の友人らとの行動の流れに身を任せていたら、なぜかスウェーデンのNGO団体によるミーティングに同席するという奇妙な事態になりました。そのNGOがパレスチナ人学生らの置かれている「苦境」を聞きたいというから、アルコッズ大とビールゼイト大とヘブライ大の三人の学生が応じることになって、でスウェーデン人側が10人。意味不明に日本人1人。

 その日、ヘブライ大の友人(イスラエル国籍のパレスチナ人)に誘われるままに、例によって「壁」を乗り越えて、アブ・ディースのアルコッズ大に向かいました。そこで、その日の夕方の「インタビュー」に参加する学生らと合流するというのです。アルコッズ大の1人は以前からの知り合いでしたが(前号登場の「本の運び屋」)、もう1人のビールゼイト大から来ていた学生とは初対面でした。
 彼に聞くと、実はヘブライ大のすぐ側に家があるという。もちろん東エルサレムID保有。しかもまだ10月から二年生で、つまりは第二次インティファーダ開始後に入学をしているわけです。最初の最初からチェックポイント通過での通学。すかさず、「目の前のヘブライ大に行こうとは思わなかったの?」と聞いてしまいました。すると彼の返事は、「親は強くヘブライ大を勧めた。ラクだし、就職なんかを考えても有利だし。でも、自分はヘブライ大では学生生活を心からは楽しめないと思うんだ。パレスチナ人学生の割合も低いし。」ということでした。それはそれで、よく分かるけれども、、、 すでに通学路上にカランディア(エルサレム・ラマッラー間)とソルダ(ラマッラー・ビールゼイト間)という二つのチェックポイントは入学時点でできていたわけで、それらを越えてでもビールゼイト大を選択するというのは、大きな決断だったろうと思います。さらに聞くと、彼は長男で、弟1人と妹2人がいて、みんな中学から高校生。否応なく兄である彼の選択が良かったのかどうかを下の子らは見て、自分の選択をするでしょう。「そういう意味でも責任が重大かなぁ」と彼は笑っていました。

 三人と僕が揃ったところで、まだ時間があるからと、アブ・ディースの友人のアパートでご飯。大音量で音楽をかけながら、三人が伝統的なダンスのステップの踏み方が違うと激論。「そうじゃねーだろ! 右足はこうして、こうして、、、」、「お前はどこの出身だ! お前の村でしか通じないだろ。」喧嘩さながらに議論はいつも激しい。
 それからようやく出発し、また「壁」を乗り越えてエルサレムに向かい、スウェーデン人とのミーティング会場へ。いちおう乗り越えちゃいけないことになっているのか、イスラエル軍のジープが警告音を発しながら時折通りかかるとみんなが一斉に壁から走り出します。それでももう壁の前後での乗り継ぎはほとんど完璧に機能していて、かえって「壁」の日常化を感じさせます。

 前置きが長くなりました。
 会場に入るなり、「アブ・ディースからの道のりは困難だったでしょう。わざわざご足労いただきありがとうございます。」から始まり、「私たちはこの一週間、壁の建設現場に行き、難民キャンプに行き、そして明日スウェーデンに戻ります。その前にパレスチナ人学生らの置かれている苦境について直接お話をお聞きしたかったのです。」と、すでに「苦しむパレスチナ人」というストーリーが聞きたいというのがありあり。
 もちろんたかが2時間程度のインタヴューでは、向こうが聞きたがっている情報を与えるので精一杯になるでしょう。どうしても、学生らの応答も、「自分たちはこんなにもひどい目に遭っている」という話し方になりがち。というか、相手が聞きたがっていることを満足させてやろうということになるわけです。チェックポイントでどんな暴言を吐かれたとか、キャンパスの周囲を戦車が走っていたとか、情勢が悪くて大学に行けないこともあるとか、逆にエルサレムに帰れなくなったことがあるとか、すべては事実なのだろうけれども、そういうものだけを「事実」として並べることに、僕は違和感を感じながら聞いていました。
 他にも典型的に現れていたのは、アルコッズ大とビールゼイト大の学生にばかり話を聞き、ほとんどヘブライ大の学生の話には関心を示さなかったことです。「あなたはイスラエル国籍を持っているわけですね。」「大学と家との間にはチェックポイントはありますか?ない。ああそう。」みたいな。「パレスチナ問題」は西岸の中にしか存在しないかのような見方をしているのです。
 また、ビールゼイト大の学生が目の前にあるヘブライ大をあえて避けたということも、前のメールで書いた壁を越えて受け渡される本のことも、日常生活のことも、イスラエル・アラブのパレスチナ人のことも、このインタヴューの中では触れられることがないままに、「パレスチナ人の苦境」という「事実」だけが伝わって、それで予定の時間が終わりました。「われわれは、今日うかがった貴重な証言を、スウェーデンに持ち帰って、できるだけ広く知らせます。」という約束をと、記念にこのNGOのオリジナルTシャツを(なぜか僕まで)もらって、別れました。

 なるほどなぁ、なんだか異様な、いや貴重なものを見せてもらったなぁと、そんな気分でした。舞台裏を見せてもらい、かつこうしてイメージが作られていくんだという現場を見せてもらったような。帰りの道すがら、今日の感想をヘブライ大の学生に求めると、「彼らの中には聞く前にすでに答えがあって、それを確認しているだけなんだ。僕がくだらないと思いつつも、こういう機会があればできるだけ応じるのは、そのステレオタイプを壊すため。占領と差別は《いま・ここ》にあるんだと言うためなんだけど、しかし今日のグループはほとんど聞く耳持たなかったなぁ。」

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