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2006.04.03

元労働党首シモン・ペレスの右傾化--NHKインタヴューから考える

Posted by :早尾貴紀

 今日のNHK「クローズアップ現代」を観ました。テーマは、「崩壊するか? 中東和平への道」。パレスチナとイスラエルの選挙を終えて、中東和平がどういう方向に行くのかを、シモン・ペレスへのインタヴューを中心に考える、というものでした。シモン・ペレスは、言うまでもなく93年のオスロ合意の立役者であり、そのことでノーベル平和賞を受けています。長年、労働党の顔でしたが、昨年末の党首選でアミール・ペレツに敗北し、その後、シャロンが 新党カディマ を立ち上げるにあたって、参加を呼びかけられ、それに応じました。カディマ発足当初は、確かペレスは議員は引退し、カディマのアドバイザーになるという話だったと思いましたが、しかし結局オルメルト党首に次ぐ名簿二位のポジションで、カディマの議員になりました。そのペレスが何を言ったのか、、、

 正直言って、ペレスの発言には驚きました。内容だけを聞いたら、シャロンとかネタニヤフといった、長年右派リクードの党首をしてきた人物の発言と何の違いもない、そういうことを何度も言いました。
 スタジオからの質問で、「ハマス政権は、イスラエルが占領地から全面撤退をすれば、イスラエルを承認して交渉をする用意がある、という姿勢を示しているようですが」と振ると、ペレスは「それは自分の主張を一方的に通そうというもので、交渉をしようというものではない。交渉とは対等な立場で同じテーブルに着くことだ」と言い放ったのです。もしパレスチナ人たちが聞いていたら、「お前に言われたくないよ!」って、誰もが叫んでいたことでしょう。
 さらにペレス曰く、「エジプトやヨルダンは、適切な判断をしたから土地も石油も水も取り戻すことができた。しかし、パレスチナ人たちは間違った選択をした。武力で我を通すなどというのは愚かなことだ。武力では何も解決などしないと知るべきだ」と。まさに、自分を顧みない発言と言うべきでしょう。
 圧倒的な武力を背景に、占領と入植の既成事実を積み重ね、それを飲むのかどうかと一方的に迫ってきたのは、まさにイスラエル政府・軍でした。もちろん、それに対してパレスチナ側が対応を誤った部分はあったでしょう。パレスチナの側に、内部の党派抗争の論理を優先させたところや、そうした党派がパフォーマンス的なミリタリズムに走ったところがあったことは否定できないと思います。しかし、だからと言って、グリーンラインを越えてパレスチナ自治区を侵略し、土地を奪い、そこで国境画定を一方的にするなんてことが、許されるはずも正当化されるはずもありません。
 そこを根本的に取り違っているのは明らかですし、それをわざと混同してくるのはイスラエルの政治家の常套手段です。それに対して、きちんと問題点の指摘をすることすらできず、「お忙しいところありがとうございました」って受け流すNHKにもガッカリでした。

 しかし、ペレスがカディマに参加したのは、シャロンが「中道化」したからではなく、ペレスが右傾化したからだ、ということが明白になったという意味では、貴重なインタヴューだったかもしれません。労働党の長年の顔だったペレスがカディマの内部に入り、 ペレスから労働党に呼ばれたペレツ がカディマべったりで連立をする。世間の新聞・ニュースでは「中道左派連合の誕生か」と書き立てていますが、とんでもない見当違いです。「総右傾化」と言うべきでしょう。左派の消滅です。ペレスもペレツもともにシャロン路線と変わりがなかった。
 残る疑問は、それは近年の右傾化と言えるのか、それともオスロ合意のときから、あるいはオスロ以前からそうだと見るべきなのか、です。オスロ時から比較してペレスの姿勢は本質的に変わったのかと考えると、実はそうではないような気がしてきます。オスロ合意は入植地建設を止めることがまったくできませんでした。和平崩壊はすべてその延長線上にあると見るべきではないでしょうか。
 そう考えると、善人ペレスが変貌・反動化したのではなく、むしろ歴史的にシオニズムの背骨をなしてきた労働党の系譜の本質が、そこに率直に表れていると考える必要があるように思われます。

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