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2008.05.09

イスラエル建国60年/パレスチナ破壊60年

Posted by :早尾貴紀

 イスラエルが1948年の建国から60年を迎えました。西暦で5月14日ですが、ユダヤ暦では今年は8日にあたるため、その日は60年の節目を祝う式典が相次いだそうです。
 イスラエルのマジョリティたるシオニストのユダヤ人たちにとっては、「独立記念日」として盛大に祝う日であり、それにさまざまな意味づけを再確認する日でもあります。たとえば、戦ってイギリス委任統治政府から「独立」を勝ち取ったとか、古代イスラエル王国が「再生」したとか、それでユダヤ人の捕囚と離散が終わり「贖罪」が成就した、とか。
 もちろんこういった物語は、どこまでいっても徹底して自己満足的なものであり、先住パレスチナ人への暴力の歴史も、そしてそれ以降いまだに続く占領や差別といった現実も、みじんも想起はされはしません。

 しかしこの日は、パレスチナ人たち(イスラエル国内に住むパレスチナ人も、占領地に住むパレスチナ人も、国外難民となったパレスチナ人も)にとっては、「ナクバの日」、つまりパレスチナが破壊された大厄災(ナクバ)を思い起こす日のことです。このことについては、二年前の独立記念日=ナクバの日にスタッフノートにも書きました。 こちら を参照。
 今年、イスラエル北部のナザレ地方裁判所が、パレスチナ人住民に対して、ナクバの日の行事を、「政治的である」という理由で禁止するという決定をしました。これに対して、中道紙ハアレツのなかで左派的な記者ギデオン・レヴィが、「ばかげた決定だ。独立記念日は非政治的だとでも言うのか?」、と批判しました。「国民感情を強制するだなんてことをすべきではない。独立記念日は、マジョリティが祝えば十分であり、マイノリティにはマイノリティの感情を表明する自由がある。それを許容するぐらいイスラエル社会は成熟していないのか」、と(5月4日ハアレツ紙)。
 もうちょっと「独立記念日」それ自体に対する批判もできないのか、という気もしますが、ま、そのあたりはハアレツ紙なりレヴィ記者なりの限界なのでしょう。

 他方で、ユダヤ人の側からも、単純に独立記念日を祝うことに対する疑念の声は 出ています。主に「超正統派」と言われるユダヤ人からです。
 大半の宗教シオニストは、このイスラエル国家を「贖いの実現」として肯定的に意味づけているのですが、この実現されるべき「宗教的イスラエル」をガザ地区と西岸地区も含めた「大イスラエル国家」であるべきである、と考える過激な宗教シオニストたちは、現在の政権を「手ぬるい」として批判しますので、やはり素直に「建国記念日」を祝う気持ちにはなれず、政府主導の祝典には距離をおきます。
 しかし、本当に、本当に敬虔なユダヤ教徒たる者は、人為的な権力そのものを拒否するのではないでしょうか。そして、領土的国家にユダヤ人がマジョリティを占めるというナショナリズムも、ユダヤ教には無縁なものだとして、イスラエルそれ自体を否定します。そういう超正統派の人びともいます。
 以前、「ネトゥレイ・カルタ」というグループを紹介したことありますので、 こちら をご覧ください。

【オマケ】
 そして、宣伝めいて恐縮ですが、この節目の5月。イスラエルっていったい何なんだ?、ということを根本から考える月にしたい方には、新刊拙著『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)を、「ナクバ」って何なんだ?、ということを考えたい方には、 『イラン・パペ、パレスチナを語る――「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』 を、じっくりと読む一ヶ月にしていただけると幸いです。

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