・ 

パレスチナ情報センター

2008.11.19

「1967年」を認めるということ――オルメルトとハマス

Posted by :早尾 貴紀

 イスラエルのオルメルト暫定首相(すでに退任が決まっているが来春の総選挙までは現職)が、第一党カディマの党首を降りてから、1967年の第三次中東戦争の境界線(グリーンライン)を基本とした和平案を繰り返し主張している。
 最初に明言したのは9月中旬ごろ。「西岸地区に広がる入植地は、イスラエルをユダヤ人とパレスチナ人との二民族国家にしてしまい、ユダヤ人国家を破壊する。大イスラエル主義は破綻した。もうその選択肢はありえない。二国家分離によるユダヤ人国家の堅持のためには、入植地撤去は不可避だ」、と。

 辞任直前の虚しい言葉だ。ベツレヘム近郊の山一つを削って、巨大なハルホマ入植地を建設した張本人が、いまさらいったい何を言っているのか、という思いもあるし、ここで撤去されるべきとされる入植地というのは、分離壁の東側だけなのかそれとも分離壁の西側も含めた全体のことなのかも不明だ。

 11月に入り、オルメルト暫定首相はもう一歩踏み込む。イツハク・ラビン元首相の暗殺13年の国会演説で、「東エルサレムのアラブ人地区を手放すべきであり、基本的には1967年のラインを核とした領土へと立ち戻るべきなのだ」、と発言した。
 そして、入植者らがパレスチナ人のオリーブ収穫を妨害し、暴行を働き、収奪をしていることを非難さえしてみせた。「そんなことがこれ以上続くことは認めがたい。いずれ退去の決断をしなくてはならなくなる。」

 ただ、「基本的には」とか「核」というのが曖昧さを残していることは見逃せない。マアレ・アドミームやグッシュ・エツィオンなどのエルサレム近郊の巨大入植地やその他グリーンライン間際の入植地についてはイスラエルの領土とする余地をなお残しているからだ。
 加えて、そうした発言が何も政治的実行力を伴わないだけでなく、カディマとの差異化をはかる、右派リクードをむしろ勢いづかせることになる、という分析もある。「中道」を標榜したいカディマが、過剰に「左派」的に見えるようになってしまうからだ。
 当然、宗教シオニスト政党などは強い反発を示し(「建国のパイオニア精神を体現している入植者を非難することは許されない」と)、カディマの新党首ツィピ・リヴニは困惑していると伝えられている。
 なお、シモン・ペレス大統領(労働党の中でもハト派とされた元首相で 後にカディマに合流 )が、「入植者のなかにごく一部にすぎないが、暴力をはたらく者がいるのが残念だ」と、非難なのだか正当化なのだかわからない発言を、ラビン墓地でしている。「ごく一部」の問題なのか??

   *   *   *

 11月に入って、パレスチナ自治政府・ハマス政権のイスマイール・ハニーヤ首相が、「1967年ボーダーの受け入れ」を表明した。「もしイスラエルが1967年の領土上でのパレスチナ国家を認めるのであれば、われわれもイスラエル国家を承認する」、と。
 もちろん、これまでの政治交渉のなかで、ハマス側は06年の選挙勝利以降、繰り返し、67年ボーダーを受け入れてイスラエル国家を承認する用意がある、ということは言ってきた。ただし、東エルサレムも含む西岸地区のなかにユダヤ人入植地は一つも認めない、という条件のもとでだ。

 そしてこのハニーヤ首相の声明を受けて、その翌日にはハアレツ紙が、「ハマスとの和平対話を開始すべき」という社説を出した(11月10日)。
 ハアレツ紙社説は、今回の声明は06年の選挙以降、とくに新しい主張ではないとしながらも、この声明が、アメリカ大統領選挙の結果を受けて1月に新政権になること、そして同時にファタハのアッバース大統領も任期終了となり、さらにはイスラエルが総選挙を迎えるという事態を想定してのものである、としている。
 もちろん同社説の主張は抽象的・一般的(かつ無責任)なものでしかないが、こう結んでいる。

結局は政治交渉以外の道はないのだから、パレスチナと政治・治安・経済分野での実務的対話を開始し、最終合意へと至るべきだ。そのためには、パレスチナで、ファタハとハマスが和解し、統合された自治政府ができなければならないし、パレスチナ人が支持したのであればどんな政府であろうと、イスラエルはそれを承認しなければならない。ガザ地区が封鎖され空爆を受けている一方で、西岸地区だけが平静を得るなどというのは幻想に過ぎないのだから。したがって、イスラエルはガザから聞こえてくる声明に耳を傾けなければならないのだ。

 ごもっとも。しかし、ここまで二年前の民主的な選挙を踏みにじって、ハマス政権を追い込み、パレスチナ人の民意を覆し、内紛を煽り立てた挙げ句に、ガザ地区を兵糧攻めしている、そういう自分の政府の責任は、そしてそれを二年間も容認してきたイスラエル国民の責任はどこに触れてある?
 これも、オルメルトの67年ボーダー尊重と同じく、いまさらという虚しさばかりが感じられる。

   *   *   *

 もちろん、オルメルトもハマスも、「1948年」には言及しない。語られるのは「67年」ばかりだ。
 オルメルトのなかには、67年(プラス・アルファ?)で線引きをしなければ、イスラエル国家のユダヤ性(ユダヤ人口比率の最大化)が脅威にさらされるという懸念が、すなわち、「67年ボーダー」で踏みとどまらなければ、それこそ「48年」に逆戻りしかねないという恐れがある。
 他方ハマスには、「67年」で譲歩しなければ(つまり「48年」をあきらめなければ)、入植地の全面撤去によってミニ・パレスチナ国家の「領土」を手に入れるということさえままならない、という判断がある。

 オルメルトの懸念はある意味で正しい。パレスチナには国家らしき政体も経済も何もない。それを根底から不可能にしてきたのがイスラエルの占領政策であり、国際政治だ。だからパレスチナは「独立」などできない。独立できなければイスラエルの一部でありつづけるしかない。それを永久に占領地という地位に落とし込むことができなければ、平等な権利要求による二民族国家運動の動きが広がるしかないからだ。

次の記事 → シオニズムの100年前と今を対比する――京都・さぼてん企画学習会にて

東エルサレムの「不法建築家屋」への水道敷設許可から見えてくること ← 前の記事

トップページ