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2010.02.23

若き兵役拒否グループの話を聞いて

Posted by :早尾貴紀

「ミフターヴ・シュミニスティーム」という名前の兵役拒否グループがあります。意味は、「12年生(高校3年生)の手紙」というもので、高卒とともに徴兵のあるイスラエル社会にあって、招集の通知の来る高校3年生の時点で、首相と国防大臣に対して、兵役を拒否する手紙を出す(そのグループの手紙に署名をする)という運動をしています。
 それに参加している二人の話を聞く機会がありました。

 その政治スタンスは、「パレスチナの占領に反対する」という点で明確です。人権侵害、収奪、暴力、などなど。自分たちはこんな占領に加担したくない、と。
 こうした兵役拒否運動は、新卒の徴兵者だけでなく予備役なども含めて、いくつかありますが、「イェッシュ・グヴール」(「境界線がある/もう限界だ!」の掛け言葉を意味する)などが有名です。こうしたところと連携しながら、若き高校生たちが、国家の政策を明確に反対するというのは、徴兵社会では実は容易なことではありません。
 病弱であるとか精神的に不適合だとかいうことを理由に(多くはそういうことで医者に診断書を出してもらって)、それとなく忌避するということは頻繁になされています。しかし、シュミニスティームのメンバーたちは、はっきりと「占領に加担しない」と発言をしているのです。

 今回、直接話を聞く機会があってよかったことは、具体的にどういう家庭や学校での教育があって、シオニストになり兵役に就くようになるのか、逆に拒否者になるにはどういう契機がありうるのか、拒否をすることでどういうことが身に起きるのか、といった生々しい話が聞けたことです。
 拒否者に多いのは、こういう書き方もなんですが、親がレバノン戦争(82年)や第一次インティファーダ(87年〜)のときの兵役拒否者であるケースが少なくなく、拒否することで親や親族とのあいだで一般に生じうる軋轢がないか小さい、ということが多い。また中流階層以上に属しており、経済的にも裕福であるという傾向もあります。
 これは、ドルーズやベドウィンのアラブ人が、兵役に就くことで社会進出のチャンスをつかもうとするのと表裏の関係にあると言えます。

 とはいえ、シュミニスティームのなかには、親と口論しながら、教室で喧嘩をしながら、拒否の意思を固めて表明してきた人もいます。
 直接話をしてくれた一人は、なんとか親は自分の決断を理解し尊重はしてくれたけれども、親族関係がギクシャクしてしまったとか、クラスメイトについても絶縁する人と変わらず友だちでいる人に別れてしまったとか、そういう経験を話してくれました。
 誰しも生身の人間ですから、政治主張の正しさだけでは割り切れない、社会的な負荷をかかえています。

 こちらからいくつか質問をさせてもらいましたが(いくつかの兵役拒否グループの違いや協力関係などについて)、とくに興味深かったのは、「では仮定の話となりますが、もし西岸地区からイスラエル軍が引いて、任務がイスラエル領土内に限定されるのであれば、徴兵に応じることができますか?」と問うたとき。
 それまでひじょうに雄弁に話していたのが、このときばかりはやや口ごもりながら、「答えにくい質問です」と応じ始めました。「まず、入植政策が続いている以上は、それに合わせてイスラエル軍は西岸地区で軍事活動を続けるでしょう。ですから、基本的に『占領反対』という私たちの原則的立場の重要性は変わらないと考えます。現実的には。ただし、質問されたようなことを想定されるのであれば、軍務を拒否する理由はなくなると言わざるをえません。私個人としては、兵役はそれでも嫌ですが、、、」

 僕のほうもそれ以上問うことはしませんでしたが、結局「占領政策批判」を根拠とする兵役拒否グループというのは、シオニズムそのものを否定はしていない、ということがあります。すなわち、大イスラエル主義は批判するけれども、小イスラエル主義であれば歓迎ないし容認。それは、現イスラエル領が「ユダヤ人国家」であることは譲れないことが原則であって、「1948」は問わない、ユダヤ人の「帰還権」は認めてもパレスチナ難民の帰還権は認めない、イスラエル国内のパレスチナ人は極小化してほしい、と。

 18歳かそこらで、自らの加害性を語り国家政策を批判し、家族や社会と対峙する、ということ自体は、そうできることではありませんし、称賛に値します。そのことは最大限認めなくてはなりません。
 ただし同時に、それはいずれにせよ、シオニズムの圏内での話である、ということにも留保は必要です。最近日本でも映画で取り上げられて注目されている「沈黙を破る」のグループについても同じです。彼らの場合は拒否者ではなく、任務に就いた占領地でおこなった人権侵害を内部告発しているわけですが、ともあれ占領批判を基本としています。もちろん占領は批判されなくてはなりませんし、またそのことをイスラエル社会や国際社会に対して告発した勇気も、とても大切なことでしょう。
 でもそうしたことが、彼らが「よりよきシオニストになるため」、あるいは「よりイスラエルが倫理的な国家として認められるため」、という価値観からなされているかもしれない、あるいは彼らの占領批判とそうした価値観は両立しうる、ということは、少なくとも知っていなくてはなりません。いずれにせよ、シオニズムの圏内での話です。日本のなかで、そうしたグループを褒めそやしたり、そういうところにイスラエル社会が変わっていく希望を見いだそうというのは、ナイーブと言うか、どこかズレているように思いました。

【参考】
december18th.org

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