特集:アパルトヘイト・ウォール パレスチナ情報センター 印刷用ページ

占領下のパレスチナから

パレスチナを蝕む「分離壁」 蛯沢 薫


2003年5月  

2003年4月半ば、初めてゆっくり訪ねた西岸のカリキリヤ・トゥルカレム地方の村々は、緑に包まれてとても美しかった。インティファーダの続く現在は、至るところに設置されている検問所や道路封鎖によりパレスチナ人の移動が制限されているために、西岸での移動は、旧来からの村と村をつなぐ道を行くことになる。そのおかげで、今までの幹線道路沿いの馴染みの風景だけでなく、パレスチナの自然と村の生活の様子を垣間見る絶好の機会を得て大満足だった。今回の目的は、イスラエルが着々と建設を進める「分離壁」の現場とそれによって多大な被害を受けている村々を訪ねることだった。

インティファーダ以前、カリキリヤ市からトゥルカレム市へは、イスラエル国内の幹線道路を使ってわずか10分で行けたという。しかし今では、イスラエルとの境界沿いにあり、周囲を入植地に囲まれたカリキリヤ市は検問所と建設された分離壁によって全く孤立し、パレスチナの車両で周辺の町や村から乗り入れることができなくなってしまった。そのため、近くのアズーン村から村と村を縫って走る道を通ってトゥルカレムへ行くことになる。

カリキリヤからトゥルカレムへ向けて、緑に包まれ、花々が彩りを添える丘陵地を通っていたときは、その美しく広大な風景に、「パレスチナにもまだこんな雄大な場所が残っていたのか」と感動しきりだった。しかし、そうしているのも束の間、村の間を抜けたあとにこの風景が始まって10分もしないうちに、破壊の痛々しい爪あとが一直線に山肌を走っているのが目に飛び込んできた。

これが分離壁による破壊である。木々に埋め尽くされた山々が四方に広がる大地を引き裂いて、壁を打ち立てるために、ブルドーザーによる破壊と整地が進められている。この作業のために、通ってきた道も中途で遮断され、壁の建設用地を挟んで反対側まで300メートルほどの距離を歩くことになった。丘陵地が広がる大地の只中に突然出現した破壊と、それによって道が遮断され徒歩での移動を余儀なくされた人々の光景は異様そのものだ。すっかり整地され、壁が立ち上がるのを待つばかりとなって山の斜面を縫っていく「壁の通路」と従来の道路が交わる地点には、数名の兵士が配置され、パレスチナ人の往来を監視している。本を抱えた大学生らしき若者たちは、兵士の尋問を免れることができないようだ。こうした若い男性はまさに兵士の標的であり、インティファーダ開始以降、勉強を続けることも非常な困難と危険を伴う行為となって久しい。

兵士の脇を通り抜け、「通路」の反対側で別の車に乗って走り出すと、間もなくしてまた道路封鎖にぶつかった。車で5分ほどの距離である。ここも壁の通路にあたるのだろう。入植者のために作られた幹線道路(バイパス・ロード=迂回路と呼ばれる)を横切って伸びる建設現場には、銃を抱えた民間の警備会社の監視に守られて、ブルドーザーが破壊を続けている。そんな巨大な破壊を前にして、その脇を歩いていく人々の姿は非常に小さく、微力に見える。強大な暴力に人々が飲み込まれ、押し潰されていくかのようだ。幹線道路と壁の建築現場に挟まれ、取り残されたようにして建つ一軒の家が、「分離壁」そのものがパレスチナにもたらす結果を象徴して印象的だった。

分離壁=アパルトヘイト・ウオール

イラクへの軍事攻撃が一応終息した。パレスチナでは、戦争に便乗してイスラエルからの攻撃が激化することを恐れていたが、幸い最悪の事態は免れたといえる。しかしこの間、劇的な軍事攻撃とは違って世界の注目を集めないままに、イスラエルは、別の形でパレスチナへの破壊行為を着実に続けている。つまり、占領地をイスラエル国内から物理的に切り離すためにイスラエル政府が一方的に進める「分離壁」の建設が加速しているのである。それによって、1967年の第3次中東戦争での停戦ラインであり、イスラエルとパレスチナ被占領地を区分する境界(いわゆるグリーンライン)から、パレスチナ寄りに大きく食い込んだ位置に境界を移す意図さえ疑われる新たな既成事実の構築に、イスラエル政府は着々と成果を挙げている。それに伴って、パレスチナの土地がさらに次々と接収され、大規模な破壊が続けられているのである。

アメリカ主導の和平案(平和へのロードマップ)が提唱されるのに呼応して、パレスチナでは新たに首相が任命され、新内閣も発足した。和平案は、パレスチナ問題の解決と中東和平の実現のために、イスラエルの軍事占領の終結とパレスチナ独立国家の創設を謳っている。しかし、分離壁の建設による西岸の土地のさらなる接収と破壊は、パレスチナ国家の実体をなきものにしてしまう深刻な事態を招いている。分離壁の最終的な構想は、シャロン・イスラエル首相の「占領地の40%にパレスチナ国家は設立される」との従来からの主張を実現する可能性が高いのである。

この「分離壁」によって、豊かな水資源と農地に恵まれた重要な資源の宝庫であり、それだけにパレスチナ社会にとって経済的にも環境的にも非常に重要な地域が、壁の外側に置かれ、事実上失われる。特に西岸北部のカリキリヤ・トゥルカレム地方は、イスラエル・パレスチナにとって重要な水源である「西地下水源」を抱える豊穣な農業地帯である。この地方だけで、西岸で消費される野菜や果物の実に60%が生産されるという。分離壁がイスラエルとの境界(グリーンライン)沿いに作られるのではなく、大きく西岸に組み込んで建設されることから、パレスチナに残された豊穣な土地をさらに接収する意図、またそれによって、パレスチナの基盤を根底から切り崩し破壊するイスラエルの意図が伺える。グリーンラインに沿って南北に走る分離壁によって、少なくとも西岸の10%が壁の外側となり失われると言われてきた。しかし、カリキリヤ地方に存在する大規模な入植地、アリエルとエマニュエルをイスラエル領に組み込む新たな壁の計画が提示されている。これが完成すれば、パレスチナが失う土地は西岸の20%に達する。脚注1

こうした大規模な土地の破壊と没収は、連日着々と続けられている。被害は日を追うごとにその規模を増すばかりである。

分離壁は、イスラエルでは「安全保障のためのフェンス」と呼ばれている。政府の公式見解では、「占領地との間に物理的な障害を設けることでパレスチナからのテロ行為を防止する」目的のためにフェンスを建てるとされている。壁に対するイスラエル国内での反応について、この分離壁に反対して、パレスチナ人と協調して活動しているイスラエルの平和団体「グッシュ・シャローム」の代表によれば、多くの人が壁建設の趣旨に賛同し、国内で圧倒的な支持を受けているという。しかし、その大部分は壁の実態について無知で、グリーンライン沿いに建設されるものと信じているようだ。また多くのイスラエル国民にとっては、国内での安全が確保されることが先決で、そのためにパレスチナが被る被害には関心がないというのが実情であろう。イスラエル左派に属する人々も、「フェンス」建設は、被占領地をイスラエルから分離し、パレスチナ国家の創設につながるものと歓迎しているそうだ。

しかし、壁の実態は大きく異なる。昨年6月に建設が始まった分離壁は、イスラエル側が呼ぶ「フェンス」から受けるイメージからかけ離れ、パレスチナ側が「アパルトヘイト・ウオール」と呼ぶのにふさわしいものである。つまり、この壁の完成によって、パレスチナ人を囲い込み、限られた居住区に押し込んでしまう可能性が濃厚である。今回のインティファーダにおいて、イスラエルが執拗に続けている制裁措置に「道路封鎖」がある。これは、至るところに設置された検問所や、各市町村の入り口などに積み上げられた障害物などによって、パレスチナ人や物資の流れを極力制限するもので、彼らの日常生活や社会の機能を著しく妨害し破壊する効果を上げている。分離壁は、まさにこの道路封鎖の目的を強化し、パレスチナ人の囲い込みを恒常化するものと言えるかもしれない。

分離壁建設第一段階:
西岸北部のジェニン、トゥルカレム、カリキリヤ地方 

脚注2

分離壁は、グリーンラインに沿って西岸の北部から南部にかけて建設される予定である。現在、西岸北部のジェニン、トゥルカレム、カリキリヤ地方で壁の建築準備が進められているが、これは分離壁の第一段階(北部分離壁)にあたる。それと並行して、第二段階(南部分離壁)であるエルサレムやベツレヘム、へブロン地区での作業も始まっている。壁の建設は、グリーンラインから大きく西岸に食い込む形で続けられ、ある地点では6キロメートルも内側に入り込んでいる。第一段階では、グリーンラインに面した西岸北部の各地で、西岸全体の2%にあたる約150平方キロメートルの土地が接収され、少なくとも30の村では、土地の一部もしくは全部が壁の外側に置かれ、土地への自由な行き来を失うことになる。そのうちの15の村では、居住地区は壁の内側に、そして住民の土地は壁の外側に引き裂かれるという。また、イスラエル・パレスチナにおける西地下水源に位置し、各地へ飲料水や灌漑用水を供給する重要な水源である31の井戸も壁の外側に接収される。イスラエル・パレスチナの水資源は、完全にイスラエルの支配・管理下にあるので、この西地下水源の95%以上が西岸の山々に発しているにも関わらず、パレスチナ被占領地への給水は、そのうちの6%でしかない。また、占領が開始された1967年以降、パレスチナ人が新たに井戸を掘って、住民の水の需要に応えることもイスラエルによって固く禁じられている。そのために、これら31の既存の井戸の接収はパレスチナ人に大きな打撃である。これらの井戸が唯一の水の供給源である村も多いという。それに加えて、少なくとも16の村々が壁の外側に位置付けられ、壁とグリーンラインとの間に取り残されてしまう。現在、こうした村々がどのような地位に置かれるのかは、つまり、果たしてイスラエル側に取り込まれることになるのか、それともパレスチナ側へ帰属したままなのか、またその場合、壁を越えてのパレスチナ側への行き来がどれだけ自由にできるのか、などについては一切不明である。パレスチナでは、これらの村々は外部からも自分の土地からもまったく遮断され、生活の手段を絶たれるために、いずれ村を捨てざるを得ない可能性が高いと見ている。また、それこそがイスラエルの意図であろうとも考えられている。いわば武力を伴わない「追放(トランスファー)」、または「自発的な退去」の実現である。しかし、これらの村の悲劇はまだ序章にすぎず、今後、壁の建設によって土地や生活の手段を失う地域の多くの住民が、「自発的な退去」を余儀なくされることが危惧されている。

壁建築の第一段階は、今まさに進行中である。その作業は、推定でおよそ25のイスラエルの会社が請け負っているという。中には、イスラエル国民であるパレスチナ人の会社もあるようだ。また、作業員のなかにはイスラエル国籍のパレスチナ人の姿がある。私が現場を訪問している際にも、作業員のなかにパレスチナ人がいるのに気づかされた。この事実に唖然として、同行のパレスチナ人に尋ねてみたが、私よりよっぽど冷静にこのことを受け止めていて、「彼らはイスラエル社会のなかで厳しい待遇を受けている。仕事に選択の余地はないのだ。」との反応を示してくれた。こうした同情的な意見は、壁建設に反対して活動している外国人やイスラエル人からも聞かされた。まさにこの事実は、分離壁が突きつけているイスラエルによる構造的な差別を象徴するひとつの事例といえるだろう。それは占領地のパレスチナ人が、入植地の建築作業に加わって生活を支えざるを得ない、差別と抑圧の構造に通じるものだろう。それでも、パレスチナ人の土地を破壊し、接収することにパレスチナ人が加担していることは、衝撃的な事実である。

建築現場は民間の警備会社によって守られている。銃を持った警備員が各所に配置されており、大地が剥ぎ取られ、整地されて白い土砂と化した「壁の通路」を車でのパトロールが頻繁に行き交う。パレスチナ人居住区や道路と隣り合わせでの作業も多い。それでも地元のパレスチナ人は、自らの地域が破壊されていく暴挙が目の前で繰り返されるのを、毎日ただ見つめるしかない。今まで眺めていた美しい山が、無残に削り取られ、白い土砂を剥き出しにした山肌を見せている。何世代にもわたって耕してきた土地が破壊され、代々引き継がれて家族の歴史を刻んできたオリーブの木々がなぎ倒された後、ブルドーザーによって押し潰され整地されていく。それまでののどかで、調和がとれて美しい村の生活と環境が崩され、壁を打ち立てるために家のすぐ脇、もしくは後ろに出現した壁の通路によって自分の土地への行き来さえ失ってしまう。どんな気持ちでこの大規模な土地の接収と破壊を見つめているのだろう。さらに悪いことに、インティファーダ以降仕事を失った多くの者が農業に携わるようになり、それが唯一の収入の糧であるという厳しい現状にあって、またその土地さえもが奪われるのである。どうやって生きていけるのだろう。土地を失う多くの農民は絶望しており、近い将来何らかの現金収入を求めて村を捨て、移住せざるを得ない可能性が現実味をもって語られている。

もちろん、今までにも住民による反対はあった。例えば、昨年10月に建設作業が開始されたカリキリヤ地方のジャユース村では、連日村人が抗議の集会や座り込みをしてオリーブの伐採と土地の接収を止めようと試みた。また、こうした動きには、パレスチナで占領への反対行動を展開している「国際連帯運動(ISM)」の外国人ボランティアなども参加している。同じくカリキリヤ地方のファラミア村では、同様の抗議行動に在エルサレムのフランスとスウェーデンの領事も出席し、壁建設に抗議するとともに、それがパレスチナ社会にもたらす影響に懸念を表明している。脚注3 しかし、そうした抗議行動の後には、必ずイスラエル軍による制裁が村人に課された。外出禁止令の発布、集会参加者への発砲や催涙弾の投下、家宅侵入、村人の逮捕などが制裁措置の例である。国際社会からの実効的な非難や介入はおろか、注目さえ得られないまま、力による強硬な手段で、破壊と建設作業が続けられている。

イスラエル政府は、建築現場に外国人が近寄ることにも警戒を強めているようだ。私の友人は、カリキリヤ地方において建築現場での写真を撮っている間に、突然ジープが現れて、兵士から質問を受けたうえ、撮影済みのフィルムの没収に加え、氏名とパスポート番号を控えられてしまった。兵士はその場で軍本部らしきところに連絡し、それらの情報を送ったという。恐らく彼女の情報は「イスラエルにとって望ましくない外国人」として記録されてしまったのだろう。そのため彼女は、次回の入国が拒否される可能性が高まったと衝撃を受けていた。また、それまで付近に兵士やジープの姿がなかったために、遠くから監視されていたのか、もしくは誰かが通報した可能性を疑っていた。私はこの話を聞いていたせいか、現場を訪れる際には警備員や作業員に対して敏感になっていた。そのため彼らの姿が見える場所では、写真撮影はおろか、車から降りて視察することも控えた。それでも、外国人の訪問に気づいた彼らの何人かが不審そうに私たちを見つめることや、時には携帯電話で話を始めることもあった。必ずしも通報しているわけではないだろうが、その可能性が大いに疑われるので急いでその場を通り過ぎた。

デイル・アル・グスン村・トゥルカレム地方

トゥルカレム地方のデイル・アル・グスン村のバドラアン家は、持っていた土地のすべてが壁の外側に接収されてしまった。昨年8月に600本あったオリーブの木や柑橘類の果樹が伐採されたのを始めとして、10棟の温室の破壊に加え、村にある家とは別にそこから少し離れた農地にも持っていた家も10月に破壊されたという。今や自分の土地に近づくことはできず、仕事と収入の道を失い途方に暮れている。4人の子どもが大学で勉強しているということで、せめて彼らが卒業できるように学費の援助を求めていた。彼の農地があった場所にも連れて行ってもらった。一面を緑で覆われた農地と温室が広がる豊かで実に美しいところだった。彼の農地だけでなく、ほかの家族の農地もある農園地帯である。その農地の間を切り開いて「壁の通路」が広がっている。その通路の一方は壁の外側となって接収されてしまい、もう片方では従来通り農業が営まれている。見事なまでに人工的で情け容赦のない線引きである。その脇で、この通路によって破壊された灌漑用パイプを修繕する地道な作業がパレスチナ人によってささやかに行われていた。すべての土地が接収されてしまった前述のバドラアン氏の土地へは近づけないということだったが、そこで会ったもうひとりの農民バデル氏が彼の土地を見せてくれた。半分が壁の外側に、そして半分が内側に引き裂かれたということで、彼は土地の半分を失った。温室もいくつか失ったという。内側に残された土地にも温室が6棟ほどあったが、灌漑用水を絶たれたということで、空の温室が打ち捨てられたように建っていた。彼の土地のすぐ脇は壁の通路であり、そこを巡回する警備の車に見つかるのを恐れて、私は長居をせずにその場を立ち去ることにした。実際この通路を通って、シャロン首相が定期的に建築現場の視察に訪れるということで驚愕した。その度にこの一帯には外出禁止令が敷かれ、農民は彼らの土地へ近づくことができないということだ。壁の通路の隣では、快晴の陽光が降り注ぐなか、緑がまぶしい農地での作業が続けられていた。本来牧歌的で美しいこの豊穣な農園地帯が、またも無残に傷つけられている。それを目前にして、この豊かな土地を失った人々が何度も何度も窮状を訴える姿に彼らの悲痛な心情が察せられた。デイル・アル・グスン村では、このバドラアン氏を含む5%の農民がすべての土地を失い、残りのすべての者が半分の土地を失うことになるという。またこの村は、西岸北部で接収される31の井戸のなかで最大の給水量を誇る井戸も失い、述べ3キロにおよぶ給水パイプが破壊されたとのことだ。残された土地で農業を営んでいくにも困難が予想される。

ジャユース村・カリキリヤ地方

前述したカリキリヤ地方のジャユース村には、およそ3千人が住んでいる。その多くが農業に完全に依存した生活を営んでいる。これまでに70%を越える土地が接収されており、住宅地と切り離されて壁の外側に取り残されることになる。それによって、少なくとも300家族が唯一の生活の糧を失ってしまった。この辺りでは、グリーンラインから6キロメートルも西岸に食い込んで壁が建設されるために、その間に広がるジャユースの山々と農地がすっぽり壁の外側に置かれてしまった。6キロメートルといえば、細長いガザ地区の横幅に匹敵する広さである。このことは、分離壁建設の目的が安全確保のためではなく、土地を奪うことにあるのを明確に示唆している。それによってジャユース村が被る損失は以下の通りである。7つの井戸。8.6平方キロメートル分の土地で栽培されていたオリーブ、麦などの穀物、柑橘類、アボガド、アーモンド、野菜畑。1平方キロメートルの広さに匹敵する250の温室。生産量にすると、25万箱分の柑橘類、20万箱分の野菜、そして70トン分のオリーブ油が失われることになる。また、隣接するファラミア村と合わせて約2万本のオリーブが伐採されると推定されている。

ジャユースでは、昨年10月の半ばより開始された建設作業に合わせて、土地の接収・破壊への抗議が連日続けられた。これは、しっかり組織されたパレスチナ人による壁への抗議行動の始まりであり、多くの外国人も住民と共に参加した。そうした動きを抑えるために、イスラエル軍は数々の制裁措置を実行した。例えば、2002年10月24日午後2時半、畑に野菜を取りに行った17歳の少年が6人の軍警察に突然襲われた。その前日に制裁として発布された「農地での作業を禁じる」軍令は、その日は解除になっていたにも関わらずである。彼らは少年にブーツやライフル銃で殴る蹴るの暴行を加えた上、服を剥ぎ取ってサボテンのそばに投げ込んだ。少年はそのまま5時まで留め置かれたという。少年によれば、軍警察は、村でその週の初めに行われたデモに彼が参加していたのを目撃したと告げ、次にそのようなことがあれば、彼と家族を殺すと脅したそうだ。ちなみにこの少年の家族も、すべての土地が壁の外側に取り残され、事実上失われたという。

この頃、オリーブの収穫時期を迎えていたジャユース村では、壁建築への抗議を続けるとともに、まだ破壊が加えられていないオリーブから実を摘み取る作業が村人によって続けられた。多くのオリーブが伐採され、また住民の手の届かない壁の向こう側に引き離されてしまった今となっては、昨年が最後のオリーブ収穫となった家族も多い。何世代にもわたって営まれてきたオリーブ収穫の作業が失われたことは、その家族にとってもパレスチナ社会全体にも大きな意味を持つ。それは経済的な打撃に留まらない。家族や社会の歴史、文化、生活の営みを刻んできたオリーブの損失は、そうした精神的な価値のある遺産の破壊と言える。

ファラミア村・カリキリヤ地方

ここでもジャユース村と同じ時期に破壊と接収が始まっている。ファラミア村には5つの大家族に属する約650人が住んでいるが、その農地はさらにカリキリヤ・トゥルカレム各地の15000家族の所有でもあるという。ファラミア村の豊穣な農地からは、かなりの量の野菜や果物などが産出されてきた。ここでの農業の発展のために、フランス政府は灌漑事業を支援している。ここでも100メートル幅の壁建設用地が村の土地を分断するようにして3キロメートルにわたって伸びている。これによって、壁の外側に残された3つの井戸が失われた。整地して「壁の通路」を完成させる際に、井戸から農地へとつながれていた灌漑用パイプがここでも破壊されたという。私が訪れた時には、警備員に保護されて、大きなトラックやブルドーザーが作業する通路のすぐ傍らで、数名のパレスチナ人が発電機で小さな機械を動かしながら、壊されたパイプの修理を続けていたのが対照的だった。通路の下に配管を通して井戸と農地をつなぐ作業は最終段階だという。一月前に作業を始めたときには、壁建設の作業員や警備員と多少の衝突もあったが、今では妨害なく仕事ができるという。ただ、せっかく修理した配管もまた壊されるのは確実で、時間の問題だと笑いながら話してくれた。この状況でも、まだ笑って「どうしようもないねえ」と話してくれた。

この配管修理は国連開発計画(UNDP)による支援で行われていた。こうした各地での被害に対処していくことも大変重要であるが、パレスチナ社会の開発に計り知れない打撃を与える分離壁そのものに対して、UNDPとしての公式の見解は当時表明されていなかった。また、国連決議にも国際法にも違反し、本来国連安全保障理事会に持ち出されてしかるべき重大問題であろう、このイスラエルによる一方的な壁建設に関して、UNDPに限らず、国連として何ら公の非難がなされていない。脚注4 ただ、アメリカ、ノルウェー、国連、ヨーロッパ連合の要請によって、分離壁に関する報告書が世界銀行によって最近出された。 以下、イスラエル日刊紙「ハアレツ」の記事によると、脚注5 報告書は「安全保障のためのフェンスは、被占領地のパレスチナ人にとって多大な影響をもたらす」と警告している。また、世界銀行のパレスチナ被占領地での代表、ナイジェル・ロバート氏は「フェンスは、交渉の代わりにイスラエル政府が採っている一方的で無計画な動きであり、計り知れない影響を与える」とコメントしている。一方で、国際社会は政治的な判断を下さずに、状況を監視し、被害に対処していくことに努めているとも発言している。国際機関とイスラエル政府の間で、壁に関する話し合いは未だ持たれていないとのことである。

アティール村・トゥルカレム地方

この村では、土地の損失に加えて、西岸の15の村に水を供給してきた大きな井戸が分離壁の外側に置かれてしまった。今は、井戸と給水曹の間に「壁の通路」ができ、「近寄ると生命に危険」と警告する柵が立っている。これらをつなぐ配水管も破壊されたため、井戸の持ち主による修理を余儀なくされた。訪問した際には、ジェニンの村からの給水車が水の供給を受けていた。今後壁が完成すれば、井戸はどうなるのだろう。接収されるのだろうか。いずれにせよ、従来のように西岸の各地から給水車が井戸に到達することは不可能だろう。この井戸の損失は、多くの村に多大な被害をもたらすことになる。

カリキリヤ市

カリキリヤ市は、イスラエルに隣接する立地条件から、インティファーダ以前にはイスラエル市民までが商談や買い物に訪れて大変な賑わいを見せていた。それが、今ではイスラエル市民が訪れることはおろか、検問所の強化によってパレスチナの車両が検問所を通過することができず、人や物資の行き来が非常に困難になっている。市内では、きれいに整ったアーケードが買い物客で溢れていたかつての賑わいとは対照的に、大通りに面した同じ商店が軒並み店を閉めていた。この厳しい経済状況は、分離壁の建設によってさらに惨憺たるものになることが予想される。壁はカリキリヤ市を四方から囲い込んで、周囲からまったく孤立させてしまうのだ。カリキリヤは町でありながらも、西岸各地へ野菜や果物を出荷する主要な生産地のひとつである。しかし、壁によって大部分の農地と実に10もの井戸が接収される。すでにイスラエルとの境界には、監視塔もついた8メートルの高さの壁が立ちはだかっている。こうした巨大な壁に囲い込まれる心理的な圧迫感は相当のものであろう。まさに町全体が刑務所と化してしまうのだ。壁は農地や住宅への考慮もなく建てられるにも関わらず、壁から45メートル以内にある建物はすべて破壊する宣告が出されている。それまでの活発な商業や農業活動によって、発展を遂げていた町を反映して、立派な農地や豪華な家などが目につく。こうした家々も壁に近すぎるとの理由で爆破を待つばかりである。土地を失い、商業や産業の道も閉ざされ、生活の糧のない住民がこの町を放棄するのも時間の問題かもしれない。事実、すでに4000人の住人がほかの場所へ移住したという。

シュウェイカ村・トゥルカレム地方

シュウェイカはトゥルカレム市北部近郊の村である。木々が蔽い茂り、緑が光り輝く非常に美しいところだった。そのなかで、土地のすべてが接収されてしまったオスマン家族を訪ねた。両親と成人した子どもたちの家族が、同じ敷地内に建つ2つの家に暮らしている。代々広大な自分たちの土地で農業を営んできた。若き日のオスマンさんの古い写真が印象的なとても上品な室内の様子から、それまでの豊かで質の高い暮らしぶりが伺える。しかし、その生活も予期しない突然の終焉を迎えてしまった。今では、彼らの土地を縫って、家のすぐ後ろを壁の通路が通っている。これによって、家の窓からいつも眺めることができたオリーブや果樹に覆われた山がいくつも失われてしまった。通路を開くために果樹は無残に伐採され、えぐり取られて痛々しい山肌が剥き出しになって伸びている。ダイナマイトを用いて山を爆破して通路を開いたということで、一日に何度か家を揺さぶる爆震を受けたという。今でも毎日ブルドーザーによる破壊と整地作業が続けられている。もはや土地へ近づくことはできない。彼らが何世代にもわたって続けてきたであろう、自然の恵みを受けた生活は完全に壊され、奪われてしまった。破壊の現場から目をそらして村を見回してみれば、美しく豊かな村の姿に心が洗われるようだ。しかし、破壊は紛れもない事実であり、消えない大きな傷として、オスマン家族だけでなく、村全体そしてパレスチナそのものに暴力的な影響を与え続けることだろう。

ナズラット・イサ村・トゥルカレム地方

イスラエルとの境界に隣接するこの村は、分離壁とグリーンラインの間に取り残される16の村のひとつである。村の中を回ってみると、その特異な環境に驚かされる。被占領地に位置するこの村は、イスラエル国内のアラブの村バカー・ガルビイエー(西バカー)と何の境もなく隣り合っているのである。あちら側とこちら側の家々が隣同士に並んでいる。ある場所では、3メートルほどの小さな道を挟んで、イスラエル側とパレスチナ側に分かれている。ひとつの村と言った方がより自然である。2つの村の間に物理的な境などないようだ。それでも被占領地の方がよっぽど物価が安いために、狭い道をまたいでイスラエル側からイスラエル国籍のパレスチナ人が買い物にやって来る。インティファーダ以前は、特にイスラエル人にとっては、何の障害もなく自由な行き来ができていたのだろう。しかし、今では村の入り口はすべて土砂で塞がれている。小さな村のどこもが塞がれて車両での進入が妨げられているのである。村の脇を幹線道路が通り、イスラエル人の車両が自由に行き来している前で、封鎖された村の入り口に集まったパレスチナ人の乗合タクシーや物資を担いで運ぶ人々が混乱をつくっている。何と不自然な状景だろう。これはアパルトヘイトの光景である。占領地では、パレスチナ人の居住区を周囲から切り離して囲い込み、見事なまでパレスチナ人だけに移動の制限が適用される。被占領地のパレスチナ人は、こうした道路封鎖などの制裁措置によって、まったく不必要な苦痛と困難そして屈辱を味わされている。また、こうした占領政策によって貧困がつくられ押しつけられている。イスラエルからの買い物客などで潤い発展してきた村の経済であるが、インティファーダ以降続く道路封鎖や、イスラエル人が占領地へ来ることを禁止する措置などで大きな打撃を受けている。以前は、イスラエルに近いという立地条件が幸いして、イスラエルからナズラット・イサ村へ続く幹線道路沿いには、トタン板製の商店が立ち並び、買い物客で賑わっていた。しかし今度はその同じ理由によって、制裁政策に加え、分離壁がこの村を破壊しかねない事態に見舞われている。イスラエルと壁との間に取り残されるこの村の将来は、住民にさえも全く不明で、大きな不安が広がっている。また今年1月末には、イスラエル政府によって幹線道路沿いの170軒の商店のうち82軒が一挙に破壊された。残りの商店に対しても撤去命令が出されている。脚注6 無残に押し潰された店の鉄筋などが、いまだに片付けられずにその場に残り、破壊の規模の大きさを実感することができた。すぐ近くには検問所が見える。この無慈悲な破壊には、検問所近辺を一掃する目的もあったのだろうか。前回破壊を免れた商店では、取り壊しを予期しながらも仕事が続けられていた。買い物客はイスラエル人(多数はパレスチナ人)ばかりだった。また商店の持ち主は、この村に限らず、ジェニン、トゥルカレム、カリキリヤなど出身の者が多いとも聞いた。取り壊された店舗を含んだ一帯は、まだ西岸の中に位置しながらも、イスラエルが設置した検問所よりイスラエル側にあるために、これらの店の主人が検問所を通過して直接店に到達することはできない。こうした移動の制限に加えて物理的な道路封鎖のために、店に到達することも、ましてや物資を店に運び込むことも至難の技だと聞かされた。とにかくこの村では、占領政策の歪さと非人間的な本質が極めてあからさまに体現されていると感じた。

マスハ村・サルフィート地区

この村では、村人からの要請に応えて、パレスチナ人、イスラエル人、外国人の共同で、分離壁に反対する「マスハ平和キャンプ」が運営・維持されている。4月始めに壁の建設現場に立てられた3つのテントには、常時パレスチナ人、イスラエル人、外国人がそれぞれ数名ずつ泊まり込んで分離壁への抗議を示している。また、分離壁に関する正確な情報を発信するセンターの役割も果たしており、キャンプを訪れる報道陣などを建設現場に案内して、壁による各地の被害を伝えている。この活動には多くのイスラエル人が参加している。毎晩数名がキャンプに泊まり込むのを始めとして、オリーブの木の下で頻繁に開かれる会議にも、イスラエルの平和団体や個人が多数参加している。また、5月3日に行われた抗議デモには、300名ほどのイスラエル市民がやって来た。今後は、マスハで目撃した破壊の現場と分離壁の実態を国内で伝えていくという。彼らは、イスラエル国内では圧倒的な少数派に属するが、その行動力と誠実な使命感には感心させられる。こうした人々がイスラエル国内の多数派にならない限り、パレスチナにとっての正義はもたらされないのだろう。気の遠くなるような話だが、このマスハ平和キャンプでのように、パレスチナ人とイスラエル人が実際に会って共に活動をすることは、それに向けての重要な動きであろう。昨年秋にも、パレスチナ人のオリーブ収穫作業に対する入植者の暴力的な妨害に抗議して、こうした良心的イスラエル市民が立ち上がる動きがあった。それは、インティファーダ以降すっかり沈黙したイスラエルの平和団体を再び活性化する契機にも、またイスラエル市民が占領地の村を訪れパレスチナ人と共に行動する契機にもなった。そうした市民の動きが、今また分離壁への反対に集結しつつあるようだ。マスハ平和キャンプに参加するイスラエルの個人や団体も増えてきている。何より、占領地のパレスチナ人たち(特に若者)が、イスラエル人とも理解し合え、友達になれるのだという当然の事実を再認識することは、彼らに希望を与える大きな意義があると思われる。このキャンプもいつ取り壊しになるかわからない。しかし、平和キャンプの存在は、分離壁への関心を広く集めることに成功を収めているし、パレスチナ人とイスラエル人が共同で活動していくうえでの信頼関係を築きあげるのにも成功したといえる。分離壁に反対するイスラエル市民の動きが見られるなかで、イスラエル国内のパレスチナ人による反対の声は聞こえない。アラブ政党の国会議員などによる分離壁の現場への訪問もあったということなので、彼らの間でも問題視されているはずである。しかし、まとまった抗議行動には至っていないのか、彼らの間で分離壁に対してどんな反応があるのかが伝わってこない。この壁によって被害を受けるパレスチナの村の多くは、イスラエル国内のパレスチナ人の村と隣り合っている。今までほとんど物理的な境界などなく、お互いにかなり親密な繋がりがあったはずである。それでも、壁建設によって耐えがたい被害を受けているパレスチナの村に対して、グリーンラインを挟んで隣り合うパレスチナ人の村からは何の反応も寄せられないという。

分離壁最終計画案

分離壁のもうひとつの問題は、イスラエル政府からの情報が限られていて、計画の全貌が不明なことである。また、壁の行程が頻繁に変えられるために、一度破壊された土地に加えて新たに別の土地が破壊・接収されてもいる。土地の接収にあたっては、当該地域担当の軍司令官によって「土地接収命令書」が発布されている。それはヘブライ語で書かれ、署名もない手書きのアラビア語訳がつけられたうえ、ヘブライ語の地図と一緒に、接収対象の土地に立つオリーブの木などに張り付けるという、何とも侮辱的なやり方で住民に知らされる。パレスチナ自治政府への正式な通知はおろか、交渉など全くなされていない。自分の土地で兵士が何かを貼り付けているのを目撃した住民(農民)によって、こうした文書は村役場などに届けられ、そこからパレスチナ地方自治省など、政府の管轄部署に伝えられるという。しかし、これらの文書は、貼り付けられた土地一帯に関しての計画しか示していないため、壁の全体的な行程や最終的な計画などは不明のままである。今まで発布された「土地接収命令書」を元にして、パレスチナの市民団体が、分離壁の第一段階と最終段階での計画を示す予測地図を作成している。脚注7 実行されることが確実と見られている、修正に基づく最終段階の地図によれば、西岸に残されるのは、分断されたわずかな土地である。ロードマップでパレスチナ独立国家を謳ってみても、壁の建設が止まらない限り、もはやパレスチナ国家の実体は無きに等しい。昨年秋、入植者の妨害によるオリーブの収穫への被害が心配されていたが、今はそれどころではなく、山ごとオリーブの林が奪われ、破壊されているのである。現在は、グリーンラインに沿って南北に走る壁の第一段階の建設が進められているが、西岸のもう一方の境界であるヨルダン渓谷に沿ってさらに土地を接収する、もうひとつの壁の建設も計画されているという。それによってパレスチナに残されるのは、シャロン首相が従来から主張している「西岸の40%」と言われている。

おわりに

私は今、パレスチナの最期に立ち会っているかのような悲痛な思いでパレスチナに暮らしている。日々暴力的な勢いで続けられる分離壁の建設によって、美しい西岸の村々、山々、農地、オリーブの林が無残に破壊されている。この現実を前にして、この壁の建設を止めることなどできない、時間的に間に合わないのだと無力感に襲われる。しかし、これが完成してしまえば、もはやパレスチナの実体は無にされてしまうだろう。イスラエルがこの壁の建設を中断しない限り、パレスチナ側は和平交渉に入るべきではないというのが実感である。ところが、現実には、イスラエルへの圧力はかかるどころか、イスラエルの方が「テロ」の完全停止を求めてパレスチナへ圧力をかけているというのが現状だ。ことの真相、つまりイスラエルによる占領をぼかしたままで、真の平和などもたらされるのだろうか。領土なき、実体なき独立国家。それでもパレスチナ自治政府指導者たちは、そうした名前だけの国家の指導者として君臨する野望を捨てきれないのだろうか。

(えびさわ かおる)
Copyright : Kaoru Ebisawa 2003


【 脚注 】

  1. 分離壁に反対するキャンペーンを展開している PENGON(パレスチナ環境 NGOネットワーク)による。詳しくは以下を参照。ウェブサイト:http://www.pengon.org 分離壁に関する報告書(具体的な事実関係を把握できる):The Apartheid Wall Campaign - Stop Israel's Stranglehold of Palestine!- Report #1, November 2002
  2. この部分の記述に関しては、The Apartheid Wall Campaign - Stop Israel's Stranglehold of Palestine!- Report #1, November 2002, PENGON を参考にした。
  3. フランス政府はファラミア村での農業用灌漑設備を整える事業を援助してきた。そのため、この村での農業と村人の生活全般に多大な悪影響を及ぼす壁の建設と、それに伴う農地の破壊・接収に懸念を表明したのである。
  4. このレポートを執筆後の 2003年 10月 14日、国連安保理において分離壁建設中止を求める決議の採択が行われたが、米国が拒否権を行使したことで可決されなかった。(15理事国中 10カ国が賛成し、英国、ドイツ、ブルガリア、カメルーンの 4カ国が棄権)しかし、2003年 10月 21日に開催された国連緊急総会の場では、「壁」の建設中止と撤去を求める決議が賛成 144反対 4(米国、イスラエル、ミクロネシア、マーシャル諸島)棄権 12で圧倒的支持を得て可決された。
  5. World Bank: Security fence will damage Palestinian interests, by Arnon Regular, Haaretz Correspondent, 15 May 2003, Haaretz Newspaper
  6. 残されていた商店も、2003年 8月 21日にすべて破壊された。
  7. 第一段階の計画予想図は、http://www.pengon.org を参照。また、最終段階の予想地図はhttp://www.gush-shalom.org で見ることができる。

この文章は、『インパクション:136号』(2003年 6月・インパクト出版会)に掲載された〈連載:再占領下のパレスチナから6『パレスチナを蝕む「分離壁」』〉を加筆・訂正したものです。(2003年12月 パレスチナ・ポータルサイト・プロジェクト)

この文章の転載に関しては、パレスチナ情報センター:連絡先 までご連絡ください。



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